こんにちは。ブリスベンの直美です。
「変容」というキーワードは、私にとって、とても大切なキーワードだと最近自覚しています。
自分自身の「変容」もテーマだし、人が変容した姿、人が変容していく姿を見るのも喜びだと気がついたのです。
で、これまで私自身が何をきっかけに「変容」してきたか?を振り返ってみました。
これは、私自身の経験であり、見方であり、伝えたいことであるので「それが正しいや正しくない」「皆同じである」とは全く思っていませんので、ご了承下さいね。
変容する時
もちろん「真理」に根ざした言葉(「人は自分の鏡です」みたいな)に出会う時なのですが、その言葉を聞いて「グサッときたり、怒りが湧いてきたり、モヤっとしたりすること」が多かったように思うのです。
特に一瞬でトランスフォームした時は、強烈な「怒り」の感情が出てきました。
以前にもブログで書いたこともあるのですが、息子が「発達障害」かどうかの診断を待っていた時に「お母さん、あなたが変わると息子さんは治ります」と言われた言葉でした。
今では、この時にこの言葉をもらって、そして強烈な「怒り」を感じきった自分自身によかったね、と思っています。その言葉で、それまでのあり方と違うあり方を選んでいけるようになったからです。
また学生の頃、休暇になる度に世界中を旅していたのですが、アメリカでお世話になったホストマザーに「直美、心の平和は外のどこかにあるのではなく、あなたの心の中にあるのよ」と言われた時も、一瞬その時に自分が繰り返していた世界への旅が否定されたようで心の中では「ムカつき」を感じていました。
でも、身体のどこかでは知っていました。それを「探している自分」といくら旅しても「見つけられない自分」。きっと彼女はそれを感じてこの言葉をくれた(世界を旅している人が全員同じではないですよ)。
今、病気で辛い思いをしている人、子供さんや家族、パートナーのことで悩んでいる人。
多分、皆、どこかで自分が変わる必要があることは分かっている。だけど、それを受け入れられないのが人の弱さだったり、頑固さだったりするのかもしれません。
でも、本当に「変容」する時は、聞きたくない言葉、自分が望んでいない言葉だったり状況だったりするかもしれない、ということをどこかで受け入れる瞬間が来るのかな、と思うんです。
そして、その時に耳を傾けるのは「現実に目の前にいる人の言葉」。
友達や子供、パートナー、親を介してこれらのムカつく言葉は与えられるのかもしれません。
責任のないムカつきの言葉と心の底に響く気づきのためのムカつきの言葉は、きっと自分自身で見分けられると思います。
相手にとって心地よい言葉は、慰めや力添えにはなっても本当の意味での「変容」を生みにくい(←主観です)。何が自分を変えることになったのかは、人によって違うと思いますので、それぞれで感じて下さいね。
楽しく変容していく方、いける時はそのままで。
そして誰かの言葉に怒りを感じたり、モヤモヤを感じたり、ハッとしたり。これも大切な大切な自分の人生に与えられた変容のためのギフトです。
感じきれるところまで感じて、フッとそれまでの自分を客観的に見れるようになった時、人は本当に変容していくのかな、と思います。

