こんにちは。ブリスベンの直美です。

 

 

昨日は、久しぶりに会う友人とゆっくりお茶を飲む機会がありました。

 

 

子育てや仕事でそれぞれが忙しくても、生で誰かに会って話す時間はやはり「豊かな時間」だと思います。

 

 

基本、私は「世間話」が苦手なので、目の前にいる相手と周りから隔離されたような深い深いトークを繰り広げてしまうのですが(そういう暑苦しいの苦手な方には、暑苦しさしかないと思います 笑)、自然に話題が「子育て」になりました。

 

 

 

彼女の子育ては知らないし、私のこれまでの子育てのことを彼女は知りません。

 

 

真っ白な感じでお互いの話を聞きあう形になりました。

 

 

 

友人の子育て論

 

 

子供に関しては出来るだけ口を出さないようにこれまで積み重ねてきた、と話す友人。

 

 

本人が経験して、辛いことも嬉しいことも全部「本人」が通って、どう考えて動くのか、そのチカラをつけることが大切だから、極力手や口を挟まないように心を砕いてきた、と。

 

 

本人がトラブルに巻き込まれている時も、まずは「あなたが声をあげなさい」。

 

 

その後にお母さんが出て行く必要があれば出て行くよ。

 

 

でも「あなた」が声をあげない限り、お母さんはどうもしてあげられない。

 

 

本人が悪いことをする側でも、本人がまず「怒られれなさい」。

 

 

先生に呼び出されるまでは本人が何かやってるのを知っていても「口は出さない」。

 

 

口や手は出さなくても、本人の話は聞いて最後には絶対「あなたの味方でいるからさ」っていうことを伝えると、「大抵本人が何とかするようになってきたわー」。

 

 

 

 

 

子育ての軸とそこで培う力

 

 

 

「その考え方や関係性のあり方はどこかで学んだの?」

 

 

と聞いてみました。

 

 

すると

 

 

「昔、会社に勤めていた時、新人研修を担当していたんだよね。そうすると、同じことを話しても、育っていく人と育っていかない人がいたの。で、その違いは何かとずっと自答していたんだよね。きっとその経験が今の自分の子育てのあり方につながっているんだと思う。本人の力を育てるっていうことがいかに大切か経験したんだよね」

 

 

「でもさ、口も手も出さないってきついよね〜」

 

 

 

「いや、マジできついよ」

 

 

 

笑って話してる彼女は、その存在の輪郭がはっきりとしていました。

 

 

 

子供が思い通りにならなくて苦しむのか、口を出さない事で苦しむのかでは、後者の方は能動的な苦しみかもしれません。

 

 

 

私は、私自身が前者の「子供が思い通りにならなくて苦しんだ過去」の話を彼女にシェアしました。

 

 

 

私の過去、そして過程、そして現在の話をジャッジせずにフラットな気持ちで耳を傾けてくれた彼女は「人の話をジャッジせずに聞く」力を自分の「子育て」の中で培っていました。

 

 

 

彼女の中には「それは違うよね」がありません。

 

 

 

過去の経験、失敗も全部引っくるめて、大切な道のりです。

 

 

 

そして、親の苦しみは親の苦しみ、親の喜びは親の喜び、子供の苦しみは子供の苦しみ。相手の苦しみは相手の苦しみと受け取るからこそ、共感や慈愛が生まれます。

 

 

 

「それぞれが、そのまんまで受け取って、そのままを認めてもらえると皆自分で乗り越えていく力を持ってるんだよね・・・・それぞれの子供に必要なもの、をよく見極めて手を出さないことが大切」

 

 

 

「こういう話って誰かに話すの?」って聞いてみましたが、やはり普段はしないとのこと。

 

 

 

少なくとも私には気持ちが引き締まるような思いで、軸が改めて見えたような気がしました。

 

 

 

「本人が育つ力」。そして、それを引き出す周りの環境。

 

 

 

友人とのお茶の時間から、もう一度教えてもらったような気がします。