こんにちは。ブリスベンの直美です。
オーストラリアでは、子供達の秋休みがスタートしました。
昨年までは、学校でお休み期間中に受け入れてくれるホリデーケアなるものもあるのですが、今年中学校に上がった11歳の息子はそういった受け入れ先に入るのも違和感がある年齢になり、かと言って家に一人で一日置いておくのもまだ心許ない中途半端な年齢です。
今回のホリデーは、思い切って子供達を預けるアレンジをせず、友達を呼んだり呼んでもらったりして乗り切ってみる事にしました。
家にいても、親の仲介なく自分たちで遊べる年齢になったので、その点は以前と比べてグッと楽になったのかもしれません。
今日も息子の友人たち何人かを集めてプールへ。そしてそのまま子供達は別の友人が家に連れて帰ってくれて、そのまま息子はそこでお泊まり。
私たち家族には、オーストラリアには親や親戚たちが一人もいないので、家族と呼べるのは、旦那と子供たちのみ。
親戚たちが集まる賑やかな週末やお祝いって体験できないのですが、息子が仲良くしているお友達は、ことあるごとに親、親戚が大勢が集まってパーティーをしている家族。
フィリピン系オーストラリア人のファミリーなのですが、そこに混ぜて貰って色んなフィリピン料理食べて美味しかったわー、なんて言いながら帰ってきたりするのです。
(こちらはお弁当)
自分たちには作れない環境も、自分たちが作りだす以外に実は受け皿があって、うまく構成されているんだな、と最近感じます。
[一人でなんとかしようとしない]
私は、一人で何もかもこなそうと頑張ってきたタイプです。
旦那が独立して直ぐは、手伝いながら子供達をみて子育て関連は全て一人で。日本とオーストラリアの行き来も常に一人で。お休みや仕事の時も常に子供たちを引き連れて。
飲食業を営み、休みが少ない旦那との生活で、そういう環境が既に出来上がっていました。日本で働くスーパーサラリーマン並みに旦那が家にいる率は少なかったと思います。
旦那に預けて何かをする、ということが物理的に出来なかったわけです。
よく離婚しないでここまできたなぁと思います。特に相手のことが嫌いでなくても、家族で過ごす時間を重んじるオーストラリアでは、こういう状況は離婚の原因となります。
でも、いま振り返ってみると、離婚云々よりも、何で自分がそういう環境にいたのか、っていう事なんです。
もっと言うと、仕事をしようとすると妊娠をしたり、子供ができてさっさと預けて仕事をしようとしたら、外で馴染めない息子に気づき、発達障害の診断が目の前に降りてきたり。周りを見回すと、自分一人しかそれに対処する人がいなかったり。
何故か私の人生には、いつも邪魔が入ってるように感じ、全く自分の行きたい方向に行けないと感じる時間が多くありました。
今振り返ると、自分が置かれた環境もママとしての自分自身も全く受け入れられなかったから、というのが分かるのですが、その時には全く分からなかった。
ただ、ただ、何故こんな境遇なんだろう・・・と家族が近くにいてくれたり、仕事も子育てもうまく両立している人を羨ましく思ったりしたことも度々ありました。
あの時に私が選択していたことは「自分自身を受け入れずに、一人でその状況を何とかする」だったのです。
もしかすると、自分のものの見方を変えていたら、環境や状況も変わっていたのかもしれません。
つくづく今の自分が何を選択しているのか、は自分ではなかなか見え無いものなんだと思います。
[自分が経験することは、旅の標識]
時々、私のところに色々な人間関係の問題を抱えている人からの相談が舞い込んできたりします。
きっと、自分には見え無い「視点」を求めて相談してくるのだと思います。
「吐き出すこと」
「視点を変える」
よりも真っ先にできること。
「自分に視点を戻してみること」
本当の自分は何を感じているのかをジャッジせずに感じてみること。
そして、正しい、間違っているよりも、本当の自分が感じていることに耳をすます。
自分で全部何とかしてしまいがちな人の多くは、自分自身の声を無視していることが多いと思います。
一番近い自分自身の声を聞かずに、誰かの声を受け入れることは難しい。
自分自身の声を聞くこと。これがコーチングの基本なんだな、と思います。



