前回までの投稿では、


「再受験の手段として仮面浪人を選択した」場合を


私の経験をもとにして書かせていただきました。


今回の投稿では、「再受験の手段としての編入か仮面浪人か」の比較を


これまた私の経験からの私見に基づいて書かせていただきます。



なお、今回の投稿をお読みになる際に、


今から約35年前はこうだったのだ


ということをおふくみおきください。


なにせ、その時分4年制大学生の再受験の手段として、


編入という制度じたい存在しなかった、という時代です。


そのような状況でしたので、


再受験の手段としては、仮面浪人しか存在しなかったのです。


おかげで、「編入か仮面浪人か」を迷うことが、ありませんでした。


それゆえ、その当時編入の不可能であった私が、



「再受験の手段として編入を選択した場合と


仮面浪人を選択した場合との比較を行うため


私の塾に来ていただいた生徒の皆さんの言動から、


私ならどうするかと予測の範囲でのシミュレーションをもとに、


「再受験の手段としての編入と仮面浪人との比較」を


焦点とした投稿をこれから数回ほど行います。


















私の仮面浪人成功の要因

テーマ:

今回の投稿では、「私の仮面浪人を成功に導いた要因」


を書かせていただきます。


前回の投稿からのつながりを考えると


「仮面浪人の苦しみ②」と、


すべきところですが


予定変更を勝手にさせていただきます。


ごめんなさい。


そして、私が、


「仮面浪人をすごした時代


と大学合格後現役の学部生で、すごした時代」


 と現在とは、かなりまわりの様相が異なること


 をご承知おきください。


たとえば、極端な例をあげますと


「ひと月に100万円をバイトでかせぐのが、


その気になればできました」


以上のようなことを考慮して、


ご覧ください。


では、本文を書いていきます。





①将来は「物理の研究者になりたい」と願い、


 

 それが可能なレベルの高い大学に入学したい」

 

 の姿勢を持ち続けたことで、モチベーションを維持できた。

 

 まずは、これにつきます。


それが、あればこそ、後述の「父からの嫌がらせ」に反発し、


「中学時代のリベンジ」に、かきたてられ、


「仮面浪人においても燃える心で勉強にうちこむこと

が、できました。



②仮面浪人を続けることのできる時間と経済的余裕を持ちえた



③家族が、協力してくれた


 

④自分の納得しない高校に進学し、


 みじめな気持で高校に通い、


「意に反することを選ぶと、納得のいかない人生を


 歩むことになる」



 を確信した。



⑤父への対抗心



私の父は企業経営者であり、



私を後継者にしたいと思っており、


 文系学部への進学をおしつけ続けました。



私は、中学生のころ「希望する公立高校に進学したくて」



猛勉強しましたが、結果がでませんでした。



父は、その際に私の中3の時のクラス担当の教諭に、



「私の息子はこんなに勉強しているのに


なぜ成果があがらないのか」と、


尋ねたところ、



 クラス担当の教諭から、


「これ以上、学力が伸びない」との回答を得て、



れ以降、「お前には、理系の才能がない」と、


 

私に言い続けました。


これほど、当時の私を罵倒する言葉はなく、


私は、「父への怒りとともに、


父に対する反抗心を強くいだき、


なお一層、物理の研究者への道」


を強く心で、再確認しました。


このような事柄が、同時におこり


私の仮面浪人突破の心のモチベーション


を長続きさせて、未来をひらかせてくれました。


仮面浪人は、「私の夢をかなえる戦い」でした。


苦しかったですが、この時に「精神力が、


かなり鍛えられました。」


甲子園での同年代の球児たち


の魂のこもったプレーに感涙すること、


しょっちゅうでした。


そして、「私も彼らに負けない青春をおくろう」と心が、


私に叫んできました。


ふりかえると「仮面浪人は、私にとっての青春」でした。


この経験があればこそ、


後の人生において危機なる状況を克服できたのです。


仮面浪人の苦痛①

テーマ:

 前回の投稿では、「仮面浪人を成功に導いた開き直り」の心を


中心に書かせていただきました。


しかし、「仮面浪人は、なみたいていのことでは、成功しない」


ことを私の経験と現実直視の面から書かせていただきます。


「仮面浪人の苦しさ」の第一弾としては、


「大学生でもなく、受験生でもない」という心に起因する


  みじめな劣等感にさいなまれることが、あげられます。


  これは、通学途上そして、籍を置いている大学


  のキャンパスにいる間、


  つきまとわれます。


   この心により籍を置いている大学で、


  友達を作ろうとする心は浮かんできませんでした。


むしろ「仮面浪人しているうしろめたさ」から


、まわりの学生たちから、隠れるように、ふるまいました。


 そして、そのような姿勢は、普段の私の生活まで浸透し、


 常に人の視線に敏感になり、心が、いつうもおびえ、


リラックスすることは、ありませんでした。

 

これが、合格以降約10年間、私を苦しめ続けた


「視線恐怖症」の始まりでした。


「自分の納得する大学に合格そして、入学後」


もホントに苦しめられ続けました。


「塾講師などのアルバイトをしている最中に、


急に私を襲い冷静さを失い冷汗をかき、契約の中断にいたり、辞


めること」、しばしばでした。


 でも、「下宿生活の維持」のために多くの場合は、


  契約の最後まで続けました。


 そのころは、一講義終了すると、


 ぐったりして駅のホームのベンチで、うたた寝すること、


 たびたびでした。