さて・最近制作の手が全く止まってしまっています。
ご注文の作品は作らないと小銭が稼げないので頑張りますが、
ひとつ本当は出さなければならなかったグループ展は参加者は100人超えだから「スランプです」と宣言してぶっちぎりました。
朝パートで予想外に疲れるため制作になかなか専念できないのに加え、
前々から喉に刺さった骨のように自分を苦しめている自給自足的生活やコミュニティに参加したい気持ち、
陶芸なんぞ作っていて間に合うのか?みたいな居心地の悪さ、みたいなものがとにかく制作に対してやる気を削いでいました。
そんな感じを現状報告としてSNSのThreadsに書きました。
今、制作の手が思いっきり止まってますが。
まず自分を休ませて
頭を整理して
本当に欲することやルートを
なんとなーくじんわり悟る
のに時間を使っています。
朝パートのせいで体が疲れすぎなのを休めつつ、
今までの制作人生と本当はやりたかった自給自足的生活への欲求の乖離とか
そういうの良い着地点があればなあ、と。
この前つらつら考えて、結局自給自足的生活を実現できたらなにがしたいの?と問うたら
「陶芸。」って心が言っていたので
ちょっと笑いましたが。
なんなんだよ、お前は。
「結局心を占めている心配事が全て解消されたらどうしたいのか」という、よく自己啓発のワークショップでやるテクニックを使ったら、実はやっぱり陶芸は、やりたいのよね。
それがわかっただけでも宣言しておくかな、と出した投稿。
んで。
上記を投稿いたしましたら、知り合いの(相手は距離をグイグイ縮めてくるが私はちょっと距離を取りたいと思う)同業者から、
「やっぱりそうでしょ!陶芸よね!」的なコメントが付きまして。
ちょっと彼女達に代表されるような「たこさんはガツガツ作家をやってる人」みたいな認識を押し付けてくる人が多いのも私の今の苦しみのひとつであるため、ちょっとムッとしてしましまして、
私、特に芸術至上主義者じゃないんですよ。
人間食わなきゃ死ぬ、というのは本当は思い込みだと思いますが、現状の日本人の精神状態だと食べ物が不足したらかなりあさましい事になるだろうから、それは良くない。
だから食料自給の農的な生活に向かう流れを大きくしていきたいです。
とはいえ、人を浅ましくしないための大切な要素に文化、美しいものを美しいと認知できることがあります。
だから美しいもの、魂に届くものは大切だし、自分もそういうものを作れるならば頑張りたい。
陶芸に限らないでも美しいものの価値を蔑ろにしない人達の中にいたいという気持ちがあります。
そういう程度のバランスの中で作る事には関わりたいんですよ。
自己主張とか作家としてもてはやされたいとかではないんですよ。
作ることはずっと好きだとは思うし、作るならば誠実でありたいけれど、なーんか「これで天下獲ってやる」みたいなことはなくてね。
そういうところがバリバリの工芸家の皆様とはちょっとずれていて周りの人達が私に対して持っている印象ともずれていて、限りなく心地悪い時はあります。
と、やや冷たい反応の返信をしてしまいました。
(なんかさぁわかったような気になって自分の気持ち押し付けてくる人、苦手なんだよ、まじに。この人、特に距離感が変なタイプでほんと苦手)
なんだかなあ、と思っていたら
とあるガンガン陶芸で稼いで、稼いだお金で自分のスタジオの周りの古民家や田んぼや畑を買いまくってお米を作って、古民家再生をして、海外からも作家が来る滞在制作スタジオを作ろうとしている陶芸家の人から
「投稿読んでるよ、ちょっと話聞こうか?」
というメッセージが来ました。
この作家さんのやり方は私にはなかなか実現できない理想形の活動だから、離れて見ていたけれど私からそんなにアプローチしていなかった方。
真面目に世界規模で高額で気楽に作った壺をガンガン売っていて、芸術家というよりビジネス仕掛け人っぽい作家さん。
このかたのやり方を批評家さんなんかは全く無視しているんだけど、私にはこの作家さんが本当に力を入れたいことがわかるから共感を持って眺めていました。
この作家さんが私の投稿を気にして見ていてくれたとは、嬉しい驚きでした。
この方と縁ができるとちょっと自分の停滞は解消されるかもしれない、かも。
されなくてもとにかく気にしてもらえたことが嬉しい。
さらに。
放置気味のインスタのDMからコレクターさんから小さいオーダーが来ていました。
今の私の生活で、なかなか作品制作に専念できず時間をいただくかも、と返信したら
「何か精のつくものを送るから住所教えて」と。
優しいなぁ。
そして、そんなふうに別々に予期せぬところから人に気にしてもらえると、それだけで人間ずいぶん力づけられたり救われたりするのですよ。
蟹座の私として12年に一度だとか164年に一度だとかの強運期に来ているのに、自分はいつまでもどっちつかずでフラフラしていて定まらなくてこの好タイミングを逃しそうで辛いなぁ、と思っていたのが少し救われた。
そしてできたらこの二つの方向を統合して幸せに向かえないかしら、と考えられるようになりました。
気にしてもらえるだけで、人は元気がでる。
友人がくれた水仙の球根が根付いて、これからは年を経るたびに水仙プロムナードになっていきそう。
植えて1年目は葉っぱが出ただけ、2年目からはこうやって花がどんどん咲いてくれるようになりました。
笹に占領されるのは嫌だから、水仙頑張れ〜!