物部メソッドを真面目に続けています。
今日で2週間になります。

前の記事で書いたようにメソッドに参加してから、急に本業のほうのかなり割の良い仕事に声をかけてもらって、するすると決定したりしました。
自分としてはそれでちょっと存在の械のようなものが取れた感じがします。

まだその他にはっきりわかるような具体的な変化はないと言えばありませんが、体感として変わってきたなと思うところはあります。

まず声が大きくなりました。
私には横隔膜がうまく動かせないと言う弱点もあり、今までは公のところで話したり大人数にいるときにはっきりと話をしなければいけないときには腹に力を入れて大きな声を意識して出さなければ、私の声は聞き取りにくく通らない声でした。
(意識をすればそれなりに届く声になります)
それが少人数での会話や答えるとき、要するに自分の方で準備ができていなくて、唐突に声を出すときにも腹圧のかかったしっかりした声が出るようになりました。
最近アルバイトの面接を何個か受けて、自分の声が妙に弱く小さくなっているのを感じてちょっとまずいと思っていたところだったので、この変化は嬉しいものです。

他には、あくまでも自分の体感でしかありませんが、オーラが濃くなったというか、エーテル体が濃くなったという感覚があります。
存在感が濃くなった?

何日か練習を続けてきて、急に後ろのほうの自分の背中の側のほうの感覚が良くなってきている感じもあります。
背中側の方に目がついたというか、
後ろ側の空間についての認識が肌感覚でわかるっていう感じ、なんですけれども、この説明でわかってもらえますかね?

その感覚と同時に自分の重心が下がったような感じがします。
少し自分の根が太くなったような感じ?
グラウンディングが進んだっていう感じですかね。

総じて生命感というか、存在感が上がったような気がします。
上がったというか、本来の自分に近づいてきていると言う事なんではないかと思います。

宇宙人タコ宇宙人タコ宇宙人タコ宇宙人タコ宇宙人タコ宇宙人タコ宇宙人タコ

私はこのところ経済的にずいぶん辛かったから、かなり家族や親戚に人生の敗残者のように軽んじられた扱いを受けているな、と感じることが多々ありました。
私自身は、今ただお金がないだけだし、それが私を決して損なうわけではないと言うことをわかっているんですが。
親しい人たちにそういう扱いを受けると、
今まで自分が頑張って制作を続けてきたことであるとか、
国内外の美術館に私の作品を収蔵されている程度に評価されてた作家であることとか、
そもそも私が私にしか作れない素晴らしいもの作っている取り替えのきかない美術家であると言うことが、
全く家族や親戚には評価されていないということがまたしても突きつけられて本当に悲しい気持ちになっていました。
(うちの家族っていまだに全然私の事は作家として評価してません。札束でほっぺたを貼り倒したりとかしない限りは、多分一生評価しないと思います。結局はお金でしか人を測れないらしい。😁)

でも、それは多分自分がお金がないということで無意識に自分のことを責めたり、自分のことを過小評価したりしていることの表れが反映しているだけなわけです。

外側の世界は、結局内側の世界の反映ですから。

他人にも自分にもそういう扱いを許す事は本当にもうやめようと思いました。
実際まだ仕事は始まっていないし、経済的な地獄はあと2ヶ月は続きます。
実際、去勢を張ったって貧乏は貧乏です。
でもそういう外側は外側として、私の存在と生命エネルギーとの輝きをもっと有無を言わさないように、輝かせて面倒くさかったりどうでもいいようなことでいろいろ言ってくる人たちを自動的に全員蹴散らすことにしました。

つまり私、結構怒ってますね。これ。😅

物部メソッドの呼吸法をしっかりやって、自分の潜在能力をどんどん開花させてくだらない経済的な不調であるとか、ちょっとした体調不良は焼き尽くしてしまいたいです。
というわけで、今日は風邪の引き始めみたいに頭痛がして、熱があって体がグラグラして、調子が悪いのですが、そんな事は気にせず燃えて生きようと思います。


赤系のお花カモーン。


あ、ここまで書いて気がついた。

私怒ってるんだなぁ。怒ってたんだなぁ。

ちょっとお金が大変になっただけで、私の人生を全部失敗だったみたいな扱いにする叔母のこととか怒ってたんだな。

ここには書かなかったけれども、私の作品にどれだけ手間と時間と集中力がかかるのか知らないで、「いついつまでに何個作品を作って欲しいんです〜」と、けろっとした顔で言う画廊の人たちにも怒ってるんだな。

でも、怒りはエネルギーだからたくさん感じて、これを私が活動するエネルギーにしてしまえばいいんです。

狂犬みたいになる必要は無いけれども、怒りたいときにはもっと怒りを私は感じていいんだよね。

それを表面的に表すかどうかは、また別の選択。