昨日母の一周忌法要に出た。

お経の後に御住職が「浄土真宗におけるお念仏は『報恩』であって信心ではない」って説話をしてくださってそれがとなかなか良かった。

浄土真宗においてはもう阿弥陀如来が菩薩時代に発願した時に全てのものは救われているんであって、「信心」とはそれをそれぞれが思い出すことである、
だからお念仏だって修行や信心の姿勢でなくて「もう救われてたんだ!ありがとう!!」という報恩の行為だ、と。
こんなわかりやすく話さなかったけどね。

だけど浄土真宗が間口が広く簡単そうでいて悟りや救いについて超深い姿勢の流派だとよくわかった話。

悟りも悟りたい悟りたいと余計なことしないで本当は知っていた、と思い出すのが悟りなんだと常々思うんだが、まだ腹落ちしてないんだよね。
私はやっぱりイベントを求め過ぎてるだけかも知れない、
それが悟りを遠くしているのかも。