私は今、生活苦から朝パートに出て、スーパーの厨房でお弁当なんか詰めてるんですが。
前にちょっと茶道をかじっていた時よりよっぽど「茶事」をやっとる気がするよ。
すごい厳しい採点のスポーツやってるみたいでもある。
正確に、速く、美しく、たくさん、を昨日の自分と時間と競うわけよ。
たぶん漫然と「やっといた方が良いから」なんて茶道に通ってたよりかなり自分の向上には役に立ってる気がします。
器をロクロで引いている器の作家のみなさんはいつもこんな感じで制作しているんだろうから、なにをいまさら、だろうけど。
2000年にキャディをやっていた時も自分向上に役立ってるな、とは思った。
それまで陶芸教室の先生だったから、センセセンセと持ち上げられる立場から人権無し、結局犬扱いのキャデイっていうのは世の中のふり幅を観るのに良かったし、勤めていたところは接待ゴルフ場だったのでとてもきれいだったので目の保養にもなり、体力的な限界に挑むということもできたし。
結局キャディは疲れすぎて作品が「立ってるのもやっと」みたいな感じになってしまったから、ヤバいと思って海外制作を画策し始めるきっかけにもなった。
キャディの時と今との共通点として、同僚の先輩お姉様方がみんな魔女みたいに仕事ができて迫力がある。
キャディさん達のが迫力度は高かったけど、そこはやってる仕事の時給の高さの差かしら。
傍から見たら結構有名な陶芸家の自分がパートでお弁当詰めているのって
「なにやってんのよ!そんなことでどうするのよ」とか
「もっと自分を大切に」とか
「たこさんにはそんなことしてほしくない」とか
言われそうなんだけど(言いそうな人達の顔が浮かぶ)
私としては最大限考えてのこれだし、ほっといてくれと思う。
別に自分は自分のことをみじめだとか敗残者とか思わないし
(私は全然思ってないんだけどそう思う人はいるでしょう)
どこで何をやっていたって自分を研ぎ澄ます機会はあるし
今をそういう機会だと思えて楽しめている自分のことが私は大好きだったりするわけよ。
まあ見てなさい、けつまずいてもただじゃ起きないっていうところを見せてあげるから。