前の記事を書いていて、私は「あわうた」や「ひふみ祝詞」もよく唱えていたよな、と思い出して
「そういえばひふみ祝詞って元々の出典はなんだったけ?日月神示??」
などと思って調べたら、もっとある意味由緒正しいものでした。
詳しい解説で良いのを貼っておきます。
〇熊本県にある幣立神宮の鑑石の裏には、阿比留草文字にてひふみ祝詞が刻まれている
〇奈良県天理市にある石上神宮では「ひふみ祓詞(はらえことば)」という、ひふみ祝詞の一種が、神事の前に唱えられています。ひふみ祓詞の言葉自体は、ひふみ祝詞と全く同じ47音
「五色人祭」の幣立神宮と奈良の物部氏の石上神宮とはこれはもう本当に原初日本の香りがしますね。
そういえばこちらのブログに紹介されていた呼吸法と書道を組み合わせた合氣道家で書道家の田中光輝先生の呼吸書道の講座にも私、行ったんでしたよ。
たしかに、いろは歌やひふみ祝詞でひ~ふ~み~と発声しながら筆を動かしたのでした。
それにしてもなんか「ひむみよいむなやこともちろらね」ってただの数字じゃん!って私は最初の頃思っていたのですがカタカムナ研究の吉野信子先生の一音一音の意味の研究によると全部にその数字らしい意味がちゃんとあるのでした。
いやその意味の音だからその数字なのかな?
こちら永久保存版。プリントアウトして常に音の意味を感じていたいっす。
ということでカタカムナ5,6,7,8首と同様にまたひふみ祝詞も再注目しようと思った次第です。
ってお前いっぺんに手を出し過ぎだよ、と潜在意識が私に突っ込んだかは定かではないのですが。
上記のようなことを興奮しながら読みつつお昼ご飯をすごい勢いで食べていた私は ふと 気がついたのでした。
あんた早食いし過ぎ!!!!
私はすごい早食いで、意識しなければ一口で3回くらいしか噛まない。
それを治そうとして生の玄米を一口百回噛む修行なんかもやってみて、意識的に最低でも30回は噛むように自分を訓練したのですが、人と会ったり今日のように何かに気を取られていたりすると3,4回しか噛まない。
他のことで頭がいっぱいで気がついたら食事が終わっていたりする。
それは健康にも悪いし時間をかけておいしく料理をした自分自身にも食べ物にも失礼すぎる。
いけないいけない、と思いながらもひふみ祝詞の記事を読み進ねていたら、「日月神示」の中に「一二三の食事」について書かれているという記事に出くわしたのです。
曰く、ひとくち口に入れたらひふみ祝詞47文字を思い浮かべながら47回噛んで最後の「ん」で飲み込め、と。
これいいじゃないですか!!
私があまり咀嚼しないのは正直咀嚼することにすごく厭きるからなのです。
だから「修行」と意識しないと厭きてつまらなくなってやらなくなる。
「修行」にしても1,2,3,と咀嚼回数を数えているのはとても無味乾燥でつまらない。
それがひふみ祝詞ならひ、と噛んで「ひ」の音の意味を感じ、ふ、と噛んで、、、と噛む行為に楽しさを乗っけられる。
いいじゃないか!!
これは昭和の画家・岡本典明に自動書記で降ろされた「日月神示」の神様がおっしゃっていることで、以下の記事に日月神示での正しい食べ方、というのが詳しく書かれています。
基本菜食で、よく咀嚼して食べ、食べたくないのに無理して食べない、お腹が本当に空いたときに腹八分目で。
悪いものを食べることも避けられないのでとにかく神様に捧げて穢れを取ってから食べろ、と。(ここ、アイヌの食べ方みたいね、アイヌは狩猟民族なので特に命を頂く意識が強いから神に捧げてから食べる、という描写がよくありますね from「ゴールデンカムイ」)
ってことで修行ゴッコの住み分けをします。
朝ー神棚・仏壇に手を合わせて神々とご先祖様に感謝・仏壇でそのまま「慈悲の瞑想」
出勤移動中ー「ありがとう100万回チャレンジ」。達成したらカムカタナを唱える予定
食事、毎回は無理なので昼の簡単な食事の時にひとくち一回ひふみ祝詞を頭の中で唱える「ひふみ祝詞食べ」
その他単純な肉体労働をしているときには今まで「ありがとう」を唱えて来たけれどこれからはカタカムナ5,6,7,8首を唱えるかも。
そういえば私、延命十句観音経ってのも唱えられるのよね。
これは1回10秒弱で唱えられるので西式体操の毛管運動をする時に6回唱えれば1分、の目安でよく使っていたのです。
毛管運動やらなくなったら唱えなくなったな。
これも運動するときに1回で10秒測るツールとして復活させても良いよね。
(ばちあたり?そんなことはないっすよ)
これが毛管運動。通称「ゴキブリの断末魔」
立ちっぱなしで血が下がったりしたときに効果ある。
今年の2月頃信楽の陶芸の森のスタジオでやったのを大学の後輩が撮影。