とある研究者先生が書いた私の作品の評論文を読ませていただいて、気がついた。

 

私って「巫女」だった。

 

その文章を引用するわけにもいかないので(まだ未刊行だから)

何言ってるんだ、って話ですがご容赦ください。

この文章は私が私のために備忘録として書いているので。

 

 

はい、私は巫女でした。

私は美術の源流を祭祀の神具や依り代にみていて、自分の作品も現代の神籬(ひもろぎ)、神の依り代となるようにという思いを持ちながら作っている。

こういうのね。

 

 

 

大きい作品も神依せの避雷針というかご神木のようなつもりだったり

祭祀のための特別な場を作るものとしてあろうという思いで作ったりしてきた。

 

これは大きいよ。画廊一杯に作った。

 

今は岐阜県の現代陶芸美術館にあるよ。

 

こちらは大分県立美術館の「天庭」という無料観覧スペースの作品。

カラフルなのは磯崎真理子さん、ガラスの作品は高橋禎彦さん、白い作品は私、のコラボインスタレーション。

インスタレーションを構成したのは当時の館長の新見隆先生。

 

で、今回人体を作ったのは何かと言うと結局それは巫女を作ったんだと思う。

 

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これ、今年の3月だったってもう自分でも信じられないんだけれど。

 

 

自分の小さな作品が依り代となって中心に位置し

その傍らを巫女として人体の作品が侍り

大きな作品が祭場を結界する。

 

なるほどね。

一貫している。

 

で、今私は次の作品展が主に時間的な制約で器の展覧会にさせてもらうことにしたのだが

全然気合が入らないでほとほと困っていたのだが、

「巫女的視点」を外して器、器、って思っていたからだと思う。

祭祀の中で捧げる器を作るんだ、そういう視点が抜けていたんだよ。

 

と、思うとやはり祭祀の中心になる大きな造形的な作品は一点要りますよね。

(ってか・それは間に合うのか?)

 

つらつら考えていたら思い出した。

ここで正式に書いたかどうかは憶えていないけれど、

私は沖縄の霊能者K先生に「今の人生に一番影響を与えている前世」として

古代のどこかヨーロッパらしいところの両性具有の神官だ、と言われたことがあったんだった。

「すっごい素敵な方ですよ」だそうだった。

それを聞いたときには自分には素敵すぎて話半分に聞いてしまったのだ。

けれど、今日読んだ研究者先生の文章にもそういう方向を作品からかぎ取ってくださっている言及があって

その文章を読んで自分の作品群についてツラツラ考えていたら妙に腑に落ちてしまったりもした。

 

それにしても評論家・研究者ってすごいよね。

作品を鑑賞していくことと作家の作品のついての発言だけで本当に本質をたがえずに突いてくるんだなぁ。

 

そして。

実は私はあまりにも今の制作の手ごたえがないので昨日の晩仕事場で

「作品ができなくて辛い!!」「死にたいくらい辛い!!」「なんで準備期間も少ないのに個展の話受けちゃったのよぉ!!バカバカバカバカバカ!!!!」「信楽帰って大きい作品作りたい!!!」「もう全部いや、寝て起きたら3月に戻っていればいいのに!!!!」等々

キレ散らかしてわめいたり怒鳴ったり半泣きになったりしていたのです、ひとりで。

 

そうしたらちゃんと守護してくださっている面々が救いの手を送ってくださったようです。

すごいね。あらためて本当にいつもありがとうございます。

 

ああ、元気でたけれど

あたし本当に1月下旬に展覧会出来るんだろうか、、、、?