シェア会のお話の3つ目、これで終わりです。
ワンネス体験をされたカフェオーナーさんも、普段は普通のお友達にはあまりスピスピした話は控えているそうで、
今回の体験も自分ではなんだかわからなかったのをFBで「こんな体験をした」と書いたら
なんと私が「大悟を経験されたのですね」とコメントを書いたことから色々調べたりして
そこからそういう体験をしたお友達のお話を聞いたりして、
自分が「ワンネスを体験した」と知ったそうです。
この会の素晴らしいところは、普段「ちょっと変かな」と思って遠慮しているスピ系の話をもうみんな全開で話せるところで、それぞれの「推しスピリチュアリスト」みたいな情報も聞けて、これがなかなか良かった。
カフェオーナーさんのワンネス体験を聞いて、複数のご友人が「ネドじゅんさんの言ってることとおんなじ」と言い、Youtubeで観てみたら本当にそうだった、というお話や
私がヴィパッサナー瞑想で色々体験した話をしたら「ネドじゅんさんのワークとおんなじ」という声が上がり、
今回のシェア会で「ネドじゅんさん」という新しいお名前を頂いたわけです。
んで・早速Youtubeで検索して出てきたのを見てみたら、本当に素晴らしい。
言葉は平易な言葉を選びつつ「みんなで探求しようね」という控え目な視点がとてもいい。
そして、シェア会でヴィパッサナー瞑想の話をしたときに「ネドじゅんさんと同じ」との言葉を複数回聞いたように
ベースは「呼吸」「体感」「思考を黙らす」で、ヴィパッサナー瞑想よりも簡易で普通に生活しつつ実践出来る感じがとても良い!!
まずネドじゅんさんがベースにしている呼吸法。
ヴィパッサナー瞑想の「アーナパーナ(鼻呼吸に集中する)」にすごく似ています。
そうして「思考」を黙らせつつ、「肚」に意識を降ろす呼吸法。
これもヴィパッサナーの体のサーチとよく似ている。
結局「頭」「脳味噌」より「身体」の方が物は解っていて、そっちの声をもっと聴く練習。
そして「これは神回!」と思ったZoomライブの録画。
ネドじゅんさんは「ただのオカン」と自分のことを表現していますが、この方がいかに人生で覚醒するために研鑽していたのかが平易な言葉をつかえているだけにひしひしと解る動画です。
いやぁ~、俺様久しぶりに「悟りたい」欲が発動しちゃいましたよ。
ネドじゅんさんによると「右脳優位になってもちゃんと社会生活はできるし、なんなら前より有能になる」とのことなので
私が気にしていた「悟って無我になると作品が作れなくなる」という怖れは的外れだと確信し、
「むしろ集中するときには集中出来て前よりバージョンアップする」というのを期待することにしちゃいましたよ。
ここんとこ「もう今生は悟れないのかも」「悟らなくても作品を作って死ねるならいいかも」と
なんか後ろ向きになっていたのですが、ここで励まされてやっぱり悟ってみたい、と心を新たにした私です。
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最後に紹介した動画の最後の方での話題なんですが。
1時間8分過ぎくらいから始まります。
「貴方自身が自分を責める癖があると気がついたとき、『貴方個人のこと』と思わないように」というお話。
「それは人類全部の無意識にあるもので、もっと大きなもので、それが貴方の中で表現されているだけ。
そこで個人的な罪悪感のようなものは持たないで「あ、こんな癖があるんだ」とライトに考えて手放してみてください」
「貴方がそれを手放せたとき、人類全体が変わります」
この辺のコメント、本当に心が救われる。
自分が何か変な感じの時って、まず自分だけが「至らない」って思って凹みながら自分を立て直していく感じになるじゃないですか。
その時感じるのは「自分って駄目だなぁ」。
でも、それは「自分のものじゃない」。
人類全体のものが自分に発露しているだけ。
それだけれど、そこで自分がそれを無化出来たら、人類が少し軽くなる。
自分=世界。
自分の辛さは世界の辛さ、自分がひっそり頑張ればそれが実は世界を変えている。
こんな元気の出る考え方、(知ってはいたんだけれど)こんなに身に染みて心に届いたのは初めてのことかもしれない。
私を良くする(=私を大切に私が扱うこと)=世界を良くする。
こんなに自分を大切にするための大義名分はありません。
自分を大切にするのも世界を救うことなんだなぁ~~~って。
百花誰為咲。
