「愛してます」とか「愛を送る」というのが結構有効なんじゃないかと気がついた還暦の誕生日の一日前。爆  笑

その後、「感謝」「愛を送る」というのを自分のワークとして日常に取り入れ始めた。

 

で、今どんな風に取り組んでいるかということだけご報告。

 

タコ 朝起きたり寝るときなど、横になったら自分の体に「ありがとう」「愛しているよ」を伝える。

心臓ありがとう、脳味噌ありがとう、眼球ありがとう・・・みたいに細かくやる。

痛いところ(たいていは腰)があるとき、痛みに気がついた時その都度、その個所に愛を送る。

愛を送りながら撫でる。

自分のことをすっごく愛しい愛猫みたいな気持ちで撫でる。

(恋人とか言わないところが・・だけど愛猫カブちゃん以上に愛しく撫でまくった存在なんて他にはいないから)

 

タコ 朝、神棚に手を合わせるときにいつもの感謝の祈りに続けて手を合わせたまま、宇宙の中心からさんさんと降り注いている愛のエネルギーを感じる。

そのエネルギーが自分を通って地球の中心まで届き、地球の中心から帰ってくるエネルギーを感じる。

宇宙と地球の循環するエネルギーを感じる。

自分の心臓を通ってエネルギーがトーラスになって循環しているイメージ。

これはちょっととある関りから「宿題」をもらっていて、どうせなら毎日している神棚に手を合わすのに紐づけただけ。

やれば絶対何か蓄積になるということを私は知っているので。

 

タコ さらに毎日やってるお仏壇にお線香を手向けてご先祖様に感謝を伝えることに加えて、

そのまま「慈悲の瞑想」を続けることにした。

 

 

 

文言はちょっと変えていて、「私が幸せでありますように」から始めて自分の家族一人ひとりの名前を上げて「○○ちゃんが幸せでありますように・・」以下どんどん全員やって、それから「私の愛する存在達が」「私を愛する存在達が」「生きとし生けるものすべてが」まで祈って、さらに「この地区の存在が」「山梨の存在が」「関東の存在が」

「本州の」「日本の」「地球の」「太陽系の」「銀河系の」「宇宙の」とまで祈る対象を広げていく。

時間がない時は「私」「私の親しい存在」「生きとし生けるもの」の簡略バージョン。

 

「慈悲の瞑想」はただ祈りの文言を口に出すだけなんだけれど、なぜかものすごく私の場合瞑想がうまくいっているときの「明け渡している感じ」になる。

真面目に半眼になってしっかり瞑想をすると目の前に紫や金の光が乱舞する状態(丹光っていうらしい)ただ唱えているだけなのに比較的瞬時になる。

つまり、私と「慈悲の瞑想」は相性がいいらしい。

それが自分を含めたすべての存在の幸福と悟りを祈る文言だなんて誠に良いではないか。

 

タコ 前からやっているけれど、声を出してその場で感謝する。

美味しいものを食べたりしたら、美味しいものを食べている瞬間に感謝したり、その食べ物に感謝したり、

その食べ物をくれた人に感謝したり、その食べ物で思い出した誰かに感謝したりする。

声を出して「おばあちゃん、あのときはありがとう!」などど言う。

 

タコ 主に家族だけれど、誰か心配になってしまったりしたら即座に慈悲の瞑想をする。

今ちょっと母がカウントダウンに入ったために母を看ている妹のことが気にかかることが多いので母からか妹からか始まったらとりあえず勢いで家族全員分を祈ったりする。

慈悲の瞑想はすでにもう唱えれば即座に長い時間座ったと同じくらい脳味噌の中が落ち着く印象があるので

やろう、と思ったタイミングでどんどんやる。

「人」自体でなくて天変地異みたいなことの不安を感じた時にも、結局それが怒って何が辛いのかというと家族がどうなるかという話だから、すかさず慈悲の瞑想ですべてを天の采配に任す。

ちょっと乱れていた感情が祈り終わるころは「天にゆだねよう」と落ち着き、丹光も見えたりしてたぶん脳波も落ち着くような気がする。

 

基本、これだけ。

すごくいろいろやっているような感じに文字化すると見えるけれど、

 

ゆめみる宝石起き抜け・寝る前に体に感謝する

ゆめみる宝石神棚に手を合わせるついでに宇宙と地球のエネルギーを意識する

ゆめみる宝石仏さまに手を合わすついでにちょっと長めに慈悲の瞑想をする

ゆめみる宝石機会があったら積極的に(そこに居ない)誰かに感謝する

 

たいして多くのことはやっていない。

元々やっていることに足しただけ。

 

でもこれだけなんだけれど、すごく「体感」が良い。

今まで朝真面目に1時間座禅したり朝晩30分ヴィパッサナー瞑想してきた時より

丹田呼吸瞑想やヴィム・ホフメソッドの呼吸法やったりした時より

「整ってる」感がすごい。

 

自分がうまく瞑想出来ている時の頭や心の鎮まっている感、

頭のてっぺんが開いて何かと繋がっている感じ、

愛と感謝で胸がいっぱいになるときの心臓から紫色のトーラスが回って肌や空間がびりびりする感覚。

たぶん、縄文の頃の人達ってこういうビリビリするバイブレーションが常態だったんだないかな、と思わせるような。

(掌を300回こすり合わせて感じるバイブレーションを全身に巡らせていたのが彼らだ、とかつて並木良和さんと矢作直樹先生の講演で聞いたので)

 

この状態に結構楽に入れるようになった。

長々座ったりしないでこの感覚にすぐ入れるようになるのは「お得」じゃないか?

そして人の幸せも祈れて感謝の波動も出すことができる。お得!!乙女のトキメキ爆  笑乙女のトキメキ

 

体に感謝を送るときに表皮を意識したり体の各部位を意識したりするのはヴィパッサナー瞑想の体のスキャンに非常に似ている感じもあり、根っこは同じなんじゃないかと思ったりもする。

つまりすべては結局繋がっているような気がする。

 

気の多い私のことだからまた他に面白そうなメソッドを見つけちゃったら浮気をするかもしれないけれど、

当分はこれでやっていこうと思います。

でも今までで一番私にしっくり来ているので、多分これが私の人生の瞑想や祈りのベースになると思う。

 

 


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にゃんこ先生とはよく言ったもんで、本当ににゃんこの境地に我々人類はなかなか到達できませんが。