【麻布十番の展示、12月4日まで開催中です】
麻布十番駅7番出口からが便利。
麻布十番稲荷神社の大通りを挟んでの向かいのファミリーマートの角を左に入った小路、左側にあります。
内倉ひとみ・徳丸鏡子・吉川千香子・吉川正道 展
10月19日~12月4日 (木・金・土 12時~17時)
麻布十番ギャラリー 港区麻布十番1-7-2エスポワール麻布102
長いと思っていた展示期間もあと正味3日。
ご興味ある方でお近くをお通りになる機会があればお気軽に覗いてみてくださいね。
12月3日(金)・12月4日(土)は私も在廊いたします。
【本題】
アファメーションが効く、
声に出して宣言するのが効く、
という話は前々からしていましたが。
最近本当にそういうのが「効く次元」に来たんだろうな、と思います。
前に比べて「即」という感じで早く実現するような気がします。
ちょっとエネルギー的に落ちてるな、と思うときに
「私は宇宙の中心と繋がって常にエネルギーを受け取っています」なんて口に出して宣言すると
その瞬間ふわ~っと頭の上からエネルギーが注がれている体感を感じたりします。
「即」です、即。
その代わり例えば弱気になって
「この人は私が嫌いだろうな」と勝手に思うとか
ガッカリしないように予防線を張るとかすると
素直にそうなる感じも、感じます。
「想いがそのまま実現しやすい地球に移行していくからこそ、
「統合」して自分を整えていくことが大事だ」
みたいなことを今まで異口同音に色々なスピ系リーダーさんたちが言ってきていましたね。
今、まさにそういう地球になってきています。
だからそれを今一度自分でしっかり意識しなおすタイミングな気がします。
実はこのところ体調、とくに体のゆがみからくる痛みがひどくてひどくて、
痛みで眠れない、なんて夜もありました。
「現実は自分が生み出しているって言ったって、私はこんな痛みちっとも求めていないのになんだ?」
夜中に自問自答しては
痛みと戦う姿勢を捨てる、とか
痛みに感謝してみる、とか
この痛みがあることで自分が何か得をしていることがあるのかを考えてみたり
今まで「痛み」に対しての精神面からのアプローチの知っているものを色々試してみたのですが
はかばかしくない。
眠れないほど痛い日々が続いた後に
地方から出張してみえるとある有名な治療家さんの治療も受ける機会もあったのですが
・・・・・正直効かなかった・・・・・・。
どうしょう?
そこで、はた、と気が付いたのですよ。
「治してもらおう」としていました。
そうじゃないんですよ。
「自分が」治っていくんですよ。
私は、私たちは瞬間毎に「自分の在り方」を選びながら生きています。
それを無意識にやっているので「選んでいる」と思っていないだけです。
だから、今から、ここから、常に意識して「選ぶ」のです。
痛みが嫌なら、痛みが嫌だ、という気持ちを「バシャールの電球付け替え」でもなんでもいいからまず捨てて、
「こうありたい」と思うシチュエーションを「選ぶ」。
意識で選ぶ、意思で選ぶ、それだけでいい。
そうするとなぜかそうなる。
痛みや嫌なら痛みがない体の自分のいる「リーマン面」を選びゃいいんですよ。
ただし・本気でね。
痛み、体の不調、のようなすごく地球的な分野、3次元的な分野だと
あっという間に状況が変わる、というような鮮やかさがないので
飽きっぽい私はちょっとやってはすぐに効果が出ないと思ってサボってきてしまったのですが
これを、3次元的にちゃんと変化があるまであきらめずにしつこくやる。
これの方が人様に「治してもらおう」なんて在り方より絶対に効果あるはずです。
例えばちょっと前に塩谷信夫博士の「正心調息法」をやり始めた、という話を書いたかと思うのですが
これ、やっているときには結構効果があったのです。
嘘のように痛みが消えた、とかそういう効き方ではなくて
痛みを取るための手段や情報がどんどん集まってきて、それを実行することと相乗効果で徐々に痛みが取れていったりしました。
(そして痛みが和らいで気が緩んでやらなくなって仕事が忙しくなって元の木阿弥)
だからまた「正心調息法」はやり始めました。
アファメーションとか宣言とか潜在意識に刷り込む、とかさんざんやってきた方です。
そして実はいつもちゃんと成果を手にしてきている。
だからそれをうすぼんやりと「けっこう効くよね~」という態度ではなく
効くに決まってるんだから、ちゃんとやる、という態度になろうと思うのです。
いや、効くとか効かないとかでなくて
「選べば必ずそうなるんだから、ちゃんと自分で好きなのを選ぼう」です。
実は私、現実を選びたい放題でしたもの。
なのに雑でした。
選んだとおりにちゃんとなるんだから、
もっと自分に愛をもって、
自分に最大限親切に、優しく、良い現実を選んであげるのです。
ちゃんと意識して。
そしてその選ぶときに周りの目とか今までの常識とか全部、必要ありませんでした。
自分の中で最も都合良くて楽しくてらくちんで幸せな願望を選んでいいのでした。
自分自身の現実なのだから、それでいいのでした。
(そのことについてもっと長く書きたいこともあるのだけれど長くなりすぎるのでそれはまたいつか。)
なんつーか、理想の自分、夢の世界に生きている自分、を選んじゃって差し支えないんです。