いやぁ~~~~~・書きたいことはあるんですが、なかなかまとまりません。

でもちょっとずつでも書いていこうと思います。

 

まず・私は今の流行り病は「ないとは思っていないけれど、マスコミが煽るほど怖れるものではないと思っている」人です。

それに対してのマスクの有効性も普通の風邪でもインフルエンザでも「マスク」というものがどれほど効果があったっけ?と思っている派です。

原因もなんだかよくわかっていないビョーキに対して一番効果がある予防は免疫力を落とさないこと、

そのため常在菌を大切にする、腸内環境を整える、過度に疲れない、等がカギだと思っています。

当然、なんだかよくわかっていないビョーキが「重症化しないため」(予防ではない)にまだ「治験」の段階に過ぎない即席で出来たオチューシャなんか打つわけありません。

しかもそのオチューシャ、打ったら血栓が体にできやすくなるという報告、実際に血栓ができて倒れた報告が多数されています。

なるかならないかわからない病気が「重症化しないため」だけに、元々血栓ができやすい遺伝要素のある私が

進んでそんなもん打つわけにはいかないですよ。

友人のご家族の実体験で「効いた」と言われている飲むオクスリもようやく届いて、もしもの時は私はそちらで対応します。

 

っていう私って、す ご い  少数派だったみたいなのよね。

 

この前地域の清掃に出たらオチューシャ打ってないのってたぶん私だけかもしれなくて(田舎なので高齢者多いのと人口が少ない)

SNSでみるに知的で成功している人が多い高校の同期の友人達も

自営業で心も魂も自由だと思っていた同業者も

みんなまるで納税義務を果たした、みたいに誇らしそうにキメていて

 

あたしは正直びっくりした。

 

特に違和感ありありなのは

同業者の美術家さん達で

「枠珍に対して半信半疑だったり恐れもあるけれど、『世間的な問題で』打たないわけにはいかないから打った」

自由業の友人で「世間には色々な意見の人がいるので嫌だけれど『仕事を失いたくないから』打った」

という・本当は自分も嫌なのに打ったという人達。

 

この話前にも書こうとして「誰かが読んで傷つくかわからないから書かないでおこう」と思って

書いたのを全部消したんだけれどね。

でもやっぱりあまりにも違和感があるので、今日はもう書かないではいられない。

 

嫌だと思っているのに・半信半疑で恐れもあるのに・なんでそんなものを自分の体に入れられるのだろうか。

そういうのより「枠珍打ったからもうかからない!!」とニコニコしている大勘違いの人達の方がプラシーボ効果でまだいいんじゃないだろうか。

 

「海外に仕事で行く可能性を摘みたくない」と言って率先してキメる同業者諸氏。

まだ「ワクチンパスポート」なんて噂の段階なのに、自分からそれを実現させやすくするマインドでそんなことしちゃうんだ?

そういう世の中になって欲しいんだ???

 

ちょっともうみんなよくわからないよ。

 

仲がいいと思っていた友人でももう根本のところで道が分かれていく始まり、が始まったのかも知れないなぁ・と

淋しい気持ちがします。

 

たぶん私は裏で「陰謀論鵜呑みのバカ」よばわりされているのかもしれないし

お勤めもしていないし子供もいない独り暮らしだからそんなことが言えるのだ、と言われているのかもしれない・

 

け・れ・ど。

 

この1年で私は自分に違和感のあるものというのが本当にうけいれられなくなってしまったのです。

 

だからバカ呼ばわりされても

もしかして「打ってない」ことで何処か行けない場所ができたりするようなことになったとしても

(ならない・なぜなら「ではもしも血栓ができて倒れたらだれが責任持ってくれるんですか?」という問いに誰も答えられないので、強制的にそうなるということはない)

違和感があり信じられないものは私は打たない。

 

「打たないのは無責任だ」とか言わないで欲しいよね・

「打ったからと言って感染しないわけではない」とオチューシャお誘いのお手紙に明記までされているのに

どうしてあのよくわからないものを打ったからって「予防」になると脳内変換ができるのかしら。

 

というわけで・リアルの友人達と仲たがいしたわけでもないですが

とっても孤独です。(笑)

救いは我が家は一家全員一致で「打たない」と強く決意しているっていうこと。

祖父・父・母と脳卒中で倒れているので絶対やめよう!とここは一枚岩となって決意。

それは本当に心強いことです。

そこを心の支えにしてまぁ乗り切ろうと思ってます。

 

これで世の中的に「生きていけない」のなら、もう隠遁する。(笑)