お盆の入りだけれど台風の大雨で山の上のお墓にはとても行けない。
迎え火は玄関前のたたきでどうにか焚いた。
実は昨日、2家族5人の来客の後、大学の先輩の彫刻家さんとの会食があって
久しぶりに人にたくさん一度にあったからか
台風大雨で気温が昨日より12度も下がっているからか
全然やる気が出ません。
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でもそんな日もあっていいことにした。
特に今回枠珍打つか打たないかの話で
美術家仲間・芸術関係者でも自分は本当に少数派だということが解ってびっくりしたり孤独を感じたりしたんだけれど・
だって、美術家というのは元々世間からの外れ者だということはとっくに骨の髄まで身に染みていたけれど
その中でも実はさらに多くの人と意見が異なる、異端なんだな、と解ったからね。
その反面、精神世界、自然農や薬草や代替療法に興味がある人達、環境を守ることに興味のある人達の友人達とは
やっぱり同じ意見の人が多いというのが再確認できたりもしたり
特にたこ家は全家族一致で枠珍は打たない派で意見が統一できているというのは
有難いことではあります。
家族間での意見の違いによる分断というのはあちこちで聞いて
けっこう深刻みたいだからね。
とにかくこれで本当にわかったよね。
本当に、人は一人一人大切にしたいものも
何に信義を置くかも
何を人生の目的としているかも
全部違う。
自分と似た感覚だと思っていたりした人も
自分にしっかりした軸があるように思っていた人も
けっこう「みんな」「世間」「多数派」「みんなが言っている常識」みたいなものが大切なんだな、と解った。
(特に高校同期の知的で社会的に成功している人達が「いい子」なのには恐れ入った。
「副反応、たいしたことなかったよ~~~」とか言って「自分は乗り越えた感」を出しているんだけれど
問題は今の枠珍に予防の意味がないことや副作用があるということだけではないということから思いっきり目を背けていて
みんな見たくないものは見たくないんだな、とため息が出た。)
だから、本当に自分は自分だ。
他人と自分は徹頭徹尾違う。
なのでたとえば他人様が一生懸命制作して発表して華々しく活動していたり
せっせと自分を高める活動に邁進しているとして
かたや自分は雨と寒さと疲れにやられて廃人化していたって
真面目に「だからなんだ?」という感じになってしまった。
前は少しは「私もこんなことしていないで頑張らなきゃ!」と思ったりもしたのだけれど、
もうそう思えない。
猛烈に動きたければ動くんだし
少しずつでも自分を整えることを積み上げようとしたければ
そう思ったらそうできるんである。
いまそうできないのは自分が芯からそう思ってないからだし
そうできないからと言って自分は何も悪くない。
だって本当に他人は他人で自分は自分なんだから。
というわけでこれは自分の在り方を見直し自分軸を強化する良い機会でもある。