夢の話。
真っ黒な球が
今住んでいる山梨の家の庭の
紫陽花の植え込みあたりに浮かんでいる。
その球が、上部から
白い泡になって
空中に消えていく。
良い天気、明るい光の中。
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朝、目が醒めて
今私がなんで「泡」をよく作っているのか
たちどころに解った。
(今まではアフロディーテの生まれる泡、だったんたけど
だんだん泡がフューチャーされてきたのがなんでか自分でもよくつかめてなかった)
で、多分これが次の作品の方向性になるんだろうと思う。
黒い、重いものから
軽い、明るいものへの
質的なメタモルフォーゼ。
記憶や痛みの黒い塊は
白い泡になって溶けていく。
黒のパートは丸くなくても良いし
一色黒である必要もない。
ちょっとクラシックな感じなので
作品の見てくれが昔の抽象オブジェみたいなものに退化しないように。
テーマが明快すぎるので
そういう作品は底が浅い表現になりがちで
ややもすると恥ずかしい上に古い、となるから
そこを意地悪く客観視しないとあかん。
思いついたからって
反芻しないですぐ喜んで作って出しちゃうのって すぐ見てわかっちゃうんだよね。
あ、はしゃいだままつくったな、これ、とか。
そういうのは見て恥ずかしい。
カレンダー裏走り書き。(笑)
絵がヘタだから描くとかっこ悪くて作りたくなくなる。
まぁどうせ同じにはできない。
今見直すとやっぱり表現としてありきたりかもなぁ。
このありきたり感を質でどう克服するかだろうなあ。
あと、釉薬で発泡する釉。
釉薬と素地の間の表現。
姉妹表現として
個体から何かが「生える」表現。
このあたり。