これは全く自分のための覚書です。手書きのメモが汚いので清書したってだけです。




アートビオトープ那須にて開催された「山のシューレ」の中のイベント

「手の力と夢ー新しいライフスタイルと工芸」樋田豊次郎×近藤高弘×新見隆 三人の先生方のお話のメモ。

 

近藤高弘先生

作為と無作為の間,身体性ギリギリのと白磁の生まれる形、(ギリギリ作れる白磁の大壺とか)

作り焼くことで立ち上がる偶然性をどう取り込むか

イサムノグチの愛した伊達冠石の風化してできた大蔵寂土を使った造形・器の仕事

3・11以降感じていることでもある作為と無作為の間、東北との縁

アートビオトープ水庭でのイベント水庭の池に大蔵寂土で作った器を浮かべて薪を焚く

 

新見先生

イサムノグチは終戦後に日本に来た時に「日本の現代美術はどうでしょう?」と問われ

「ピカソの真似ばっかりで見るものは無い、なぜ日本の伝統を大事にしないのか」と返した。

そのことの制作からの回答がイサムノグチの陶芸であり、灯りである。

四国のノグチのアトリエ牟礼に伝説とともに「海女の墓」というものが残っている

ノグチは「海女の墓」と称する立体作品をたくさん作ったが「一つとして本物の海女の墓に敵うものはできなかった」と。

「意図を越えるものへの表現」へのノグチの挑戦

 

樋田先生

現在、美術館・博物館が海外から金に任せて大物を借りてきて大量集客を図る「ブロックバスター」と称されるタイプの展覧会が成立しなくなって、学芸員・企画者の中にも反省と内省が起こっている。

そうするとともすると日本文化・美術の特異性に注目した内向きなベクトルが増えていき「ニホンエライ」の流れが強まってしまうが

それはまずい、もっと混じり合おう、という姿勢が現場から起こってきた。

「Japanese美術でなく、Art  in Japan をもっと表に出そう」という声が若い学芸員から起こってきた。

2021年1月開催のシンポジウム「日本美術がつなぐ博物館コミュニティー」に於いて基調講演を担当して

講演の題を「異文化を吸収する度胸」とした。

 

「新しいライフスタイル」とは?

新しい生き方の提示を美術・工芸ができるか?

今まで工芸とは今ある生活に当てはめる、寄り添うものだったがこれからは?

「度胸一番」。好きならやって見せる、という姿勢。

生き方の根本を問い直すような工芸、造詣が出てくることが望ましい。

「自分自身を中心に据える」ような姿勢。(←おお、スピリチュアル界でさんざん言われている「自分軸」の話じゃないですか!!)

國芳の「本朝水滸伝豪傑八百人一個・早川鮎之助」図を提示して「飢えた人や仲間のために川の流れを戸板で堰き止めて鮎を取った豪傑みたいに今こそ美術の力の出番だ」と。(樋田先生すごく張切ってらっしゃる)

 

新見先生

美術・作ることはそれ自身が「反社会的」なもの。

コップ1個に祈りや思想が伴わなければならない。

(新見先生の企画には○○VS△△のような対比の様式のものが多いのはなぜ?の質問に答え)

尊敬する思想家ワルター・ベンヤミンの言葉「事物と事物の魔術的な出会い・魔術的な共同性」に共鳴している。

事物の中に秘められた語りえぬものが事物と事物の出会いの中であぶりだされてくる。

 

以上・文責は昼酒で酔っぱらった徳丸鏡子でした。