こちらで「私の陶芸の神様はスパルタだ」とか 書いたんですが


スパルタじゃないよね。

 

どうもこのところ海外から立て続けに作品について問い合わせが来たり

全然営業していないのに展示のお声がけを頂いたり

コロちゃん騒動で展示やイベントが立ち消えにいなった方も多いのに

営業も全然しないばかりか

「もう陶芸よりほかにしたいことがあるかも」

とまでほざいていた私に随分の好待遇をしてくださっているのです。

喉から手が出るほど展示がしたい人にとっては腹立たしいほどの甘やかされっぷりです。

 

なんでまた急に陶芸の方が動いてきたんだろうなぁ、と思ってるときに

このカルマさんのセッションの動画を観た。

 

 

 

 

冒頭のほうで

「宇宙人とコンタクトを取りたい」と一生懸命願ったりすると

期待や執着になって【逆走する】から実現が遠くなる」

みたいな話題が出ているのです。

 

 

これだよ。

 

私は本当にもう陶芸なんかやめちゃってもいいや、と思った。

アフターコロナで世の中もう次に進んでいったのに

陶芸が自分の「仕事」だからといって

私は自分が本当にやりたいと思っていることを心の底に押し込めて我慢して

それでビフォーコロナの日々と同じ価値観と態度で我慢しながら陶芸至上主義で暮らすつもりなの?

 

それは、もう無理だよね。

もう戻らないよね。

これからは本当に心が求めている方向にまっしぐらになっていいんだよね。

 

そのくらいまで考えて

陶芸を全くやめることはないけれど

一時的に引退したって休業したっていいや、

前みたいに信仰みたいに、受験勉強みたいに、奴隷労働みたいにするのにはもう戻らない、と思った。

 

つまり手放したというか距離を置いた。

「大事だけど、どうでもいい」みたいな。

 

それが期せずして「期待や執着を手放す」ってことになって、

急に営業もしていないのに陶芸が回り始めたんだろうと思う。

 

なんか皮肉な感じもするけど、たぶんそうなんだと思う。

 

それと同時に、

もう私は「3次元的に困る」ってことももうなくなるだろうということも薄っすら気が付いた。

 

生きるとか死ぬとか食えるとか食えないとか稼ぐとか儲けるとか

もういいや、と思ったから。

 

そんなことで命をすり減らすんじゃなくて、

本当にやりたいことをやるのだ。

それが流れに逆らわないのならば

必ず飢えて困るようなことはない、はず。

私がしたいこと、心が望んでいることはもっと地球規模の未来のことであって、

それを実現するルートを選択した以上

3次元的に困るなんてことはもう卒業しているはずだし、そうでないとおかしい。

 

この何年か私がお金に徹底的に困ったのはたぶんというか絶対に

「陶芸で稼がなきゃいけない!!!」と強く強く強く強く思い込んだから。

「陶芸で稼がなきゃいけない、稼げなかったらどうしよう、怖い怖い怖い怖い!」と・いつも怖れていたから。

今ならため息交じりに心からわかる。

 

「✖✖しなきゃいけない!!」ってマジに糞みたいな思い込まされだったんだよね。

猛毒だよ。

 

「一生懸命」って本当に終わった価値観なんだなぁ。

期待とか執着につながっちゃって、本当に逆走そのもので、ダメだったんだなぁ。

 

って自分用に覚書き。

 

もう二度と「重いコンダラ」を引っ張って試練の道を行く ような昭和の悲劇は繰り返しません。

 

 【追記】

「巨人の星」ってさあ 

血の汗流せ 涙を拭くなー

とか歌っててさぁ ほんと頭おかしいよね。

そんなだから飛雄馬って人生何もうまく行かなくて最後は故障して 雲隠れするんじゃんね。

星一徹はDVの毒親だし。

主題歌YOUTUBEから貼ろうとしたんだけど

コメントに昭和のジイサン達が

「今の若い人にはわからないだろうが、これが俺たちの価値観だ!」

みたいに絶賛コメントつけていて

吐きそうになってやめたよ。


実は漫画は連載当時からその狂ったスパルタや視野が狭くてマゾ過ぎる頑なさは「ギャグ」で「やおいの元ネタ」だった、と中島梓が書き残していますが。