「人間が地球にいるからこんなことになった!」とか

考えたことある人いますか。

 

地球環境に少し敏感な人だったら、

「人間なんか地球に居なきゃいいのに」

って思ったことありませんか。

人間なんか環境を破壊して空気や海を汚して動物を不必要に殺して地球にいいこと何もしていない、

「なんで人間なんか地球にいるんだろう?」って。

 

先日ネット呑みをしていて

凄く優しい人で動物の幸せや権利を大切にしている友人と

農作物と獣害による畑の被害についての話題になってしまって

結局環境のことを突き詰めて考えると地球に人間なんかいないほうがいい、

「畑の獣害で動物を駆逐するなんて、もともと動物の場所に人間が来たのに、酷い!」と

私が人間代表みたいなことになってやや吊し上げられてしまいました。

 

私は人間のいる意味はある、なければ地球に存在しているはずがないし、

こんなに地球を覆いつくすような繁栄はしなかったはずだし、たしかにあるはずだよ、

と思ったんだけど

どう言おうか、とモタモタしているうちに時間切れになってしまって

いつまでも釈然としない気持ちがあとに残りました。

 

その後ジトーッと考えていたんですが、思い出した。

 

結論を言うとね、人間がなぜ地球にいるかというと

 

人間が「霊性」を自ら高めることのできる唯一の生物だから、です。

 

たしかこれはとある人の講演会(お察し下しさい)で聴いた話だったと思う。

 

人間は「創られた存在」。(ほかの生物もそうだったと思った)

今の人間の種の前にも何種か「人間」のような種は創られた。

しかしそれらは地球に残れなかった、だか 残されなかった、だかで

最終的に今の人間を「創造主達」は残すことにした。

なぜならこの種には「霊性」というものがあり

生まれて・食べて寝て排泄して子孫を残して・死んでいくという動物たちの自然な営みを超えて

それら生きるための輪廻を超えていこうとする意志と素質があったから。

人間が霊性を高めていくことで地球も一緒に波動を上げていくことができる、

つまり人間は地球の進化に必要な生物だ、と判断されたとか なんとか。

 

(うろ覚えでごめんなさい・その日録音もダメ、聴いた内容のレポートもダメ、だったのだ。

じゃあ今ブログに書くのはどうなのか?って?そうだなぁ‥‥でもそれではなんで「講演会」として人を集めて話をしたのだ?)

 

最近どこかで「パワーかフォースか」の改訂版を紹介しつつ

「人間と地球の波動が上がったので、もう波動が低かったから起こった世界大戦のようなものは起こらない、

波動が違うので起こりえない」

と言い切っているブログがあったんだけど

それを読みながら「そういうもんなのか」と思ったときに、その講演会の人間の「霊性」の話を思い出したのだった。

 

つまり、人間はその「霊性」を高めることで

地球の波動を上げることに貢献するという役割がある生物なのだ、ということ。

 

だから人間に生まれた以上、できたら自分達の霊性を上げていくように努めていくのが

人間が地球に居させてもらえる意味であり理由である、らしいのだよ。

 

(あまりにも人間が波動上げてくれないから待っていられなくて最近地球は自分でもう勝手に波動上げちゃった、という話も

よく耳目に触れましたよね、この何年か。)

 

だからさ。

 

人間として生まれた以上、

そして今の現代の日本というとても恵まれた時代と環境の中に生まれた以上、

 

食べたり飲んだり明日の生活だとか将来設計とか死ぬの生きるの、と 

生きるためのことに振り回されている心の在り方ってもう抜ける時なのだ。

 

生きるの死ぬのという人生のイベントは霊性を高くしたって続くに決まっているのだ。

友人との話の中では私が畑をしたら相変わらず根こそぎ猪が掘り返してしまうんだろう。

そういうあらゆる人生のイベントの中で、ちょっとでも「霊性を高める」方に向かって行けってことなのだ。

(いい子ちゃんになれということでは、たぶんない)

人生のイベントに振り回されないで、

都度都度立ち止まって「霊性を高めるために地球に生まれてきたんだよ!」と思い出して、

「波動が高くあるっていうのはどういうことだ?」と選択していくってこと だろう。

 

友人との獣害についての話だと

今私が思いついている解決策は

私個人ではまずはビーガンに近い食生活をする人になって

自分の食べるものは極力 家の中で作る、っていうこと。

自分の家の中で食べ物を作る Earth Ship 建築 が普及したらそれは叶う。

それからだんだん「食べない人」になっていくということも解決の一つになると思う。

それこそ「霊性が高い」だよね。(笑)

 

つーことで、高めよう、霊性。