久しぶりに山梨に帰ってきて、書きたかったことがたまっていて、久しぶりにブログ熱が燃え上がっています。

しばらく更新三昧になるかも。

 

前の投稿と話が前後しますが、8月に山梨で脳梗塞で倒れて入院中だった母、無事退院して東京の実家に帰りました。

 

1月下旬からお片付けのできない母と妹の住む「魔窟」をなんとか快適にこれから介護できるように、

それはそれは一生懸命頑張って東京の家を片付け、整理整頓しました。

 

以下の記事に書いたように、

母と同居する妹からは当初まったく賛同が得られずキレられたりモラハラされたりさんざんだったのですが、

魔窟のままでケアマネさんを呼べない、ということに賛同してくれた姉のほとんど毎日の協力によって

ケアマネさんに

「こんなにものが出ていない家なら、十分に在宅で理学療法リハビリもできますよ!」

と言ってもらえるほどのキレイさにまで片付けることができました。

(ビフォーを見せたかったよ・・・・・・・(笑))


退院2か月前まで東京に帰るか山梨で看るか決まらなかったため、

ケアマネさん本人に東京の家まで来ていただけて今後のケアプランをご提示いただけたのが

母の退院2日前。

(で・母の退院の前日に大叔母のお通夜・当日に告別式。その話はまた。)

すべて滑り込みのような状態でした。

 

それでも。

 

幸運なことに最初にコンタクトを取ったケアマネさんがとても優秀な方でした。

同世代か少し上のサクサク・テキパキした女性で

1回の面談でこちらの求めるサービス以上のものをどんどん経験と情報量の多さの中から繰り出してきてくださって

 

・レクリエーション中心の「大人の幼稚園」みたいでなく個人のリハビリを中心としたジムやトレーニング施設のようなデイケアのご紹介

・結果を出している優秀な言語療法士さんと理学療法士さんを抱え、自分たちが入院設備も持っているクリニックのお医者様を訪問看護の主治医としてご紹介、

そこの先生は循環器が専門なので心不全からの脳梗塞を発症した母にとっては最適であり

もしも体調不良の場合は自院の入院施設に受け入れ可能

訪問で40分みっちり言語も理学もリハビリを受けられる

(通院だと1回20分と決められてしまっているそうで、長くリハビリしたいなら訪問がおすすめだそうです)

そしてこちらの先生はターミナルケアまで視野に入れて対応してくださるということで、

ひとつのクリニックでリハビリから健康管理、今後の不測の事態にも対応いただけるという素晴らしいご縁を頂けました。

・ずっと気になっていた歯の健康について、訪問歯科の先生のご紹介

・(きれいになった)我が家の動線を見ながらの介護用品の選定

(後日母の退院後実際に母と面談して当初必要ないとしていた介護用ベッドの導入を即断で実施、など改善点に対しての行動も素早い)

 

など それはそれは頼りになるケアマネさんとつながることができました。

施設に連絡してからなかなかご本人とお会いするまで時間がかかりましたが、たぶん人気のケアマネさんで忙しい方だからだった、と推察します。

 

さらに、ここまでケアマネさんと一度で話がサクサク進んだのは

山梨で入院していたリハビリ病院の作業療法士の先生が良い方で、

事前に直接電話でケアマネさん(まだその時はケアマネさん候補の段階)と話して

母の状態や行動(集団のレクリエーションには絶対出ていかない)などについて細かく直接お知らせくださっていたことも大きかったです。

ケアマネさんによると療法士の先生が普通は通常業務でそこまではされないそうです。

(都留市ツル虎の門病院の作業療法士の齋藤先生ありがとうございます!)

 

つまり、良き方に恵まれてここまですごく上手く、幸運に、テンポよく進んできました。

 

ご紹介いただいた訪問医療の先生方も介護用品のスタッフさんも非常に感じがよくて素晴らしい。

 

そして今回介護保険の仕組みを使ってみて

こんなにも老人や介護についてはサービスが充実しているのかと驚きました。

色々不満も悪口もあるけど、優しい良い国ですよ、日本。

この仕組みを作ってくれた先人達に大感謝です。

 

そしてね・全体的にとても幸運だと思います。

 

こっから先は自画自賛します。(から腹が立ちそうな人は読まないでね・(笑))

 

私、人に揶揄されたり妹に嫌がられたりしながら、東京の家を一生懸命片付けて良かった。

リブログした記事にあるように本当に全身全霊で頑張ったのです。

だからこその、この幸運だと思っています。

なぜなら目の前の現実は私の在り方が作るからです。

どこかの次元に人にあれこれ言われたのを気にしたり妹に腹を立てて「勝手にしたら!」と東京の家を突き放した私がいたとしたら、今のルートに乗ってないと思う。

「現実」というのは「私」という覗き穴から見たもの、

私の胸の投影機から映し出されている映像がスクリーンに映ったもの

私の心の中が「反転して私を取り巻いている」からです。

 

本当、自分の気持ちに従って、嫌がられても馬鹿にされても冷笑されても

自分の在りたいように、やりたいようにやってよかったです。

 

私はもう何年も「一生懸命の時代は終わった」「一生懸命はもう空回りするだけ、無駄」というような自己実現界隈の論調に脅かされてきて、

なにかと一生懸命になりがちな自分を信用できなくなっていました。

でも、魂が一生懸命することを望むなら、一生懸命信じたようにやればいいんだと

今回思いましたよ。

 

確かに一生懸命何かやったって、報われるとは限らない。

結果が出ないことも多いし空回りもするし人に喜ばれなかったり馬鹿にもされたりするし。

 

この記事のタイトルの

「一生懸命やったことの報酬は、一生懸命やったということだけ」。

というのは故・三原順の「はみだしっ子」シリーズ15編目の「カッコーの鳴く森」最終ページでアンジーがサーニンをねぎらって伝える言葉で、

そしてすぐに一生懸命になってしまいがちな私はこの言葉を

「ほんとにそうだよな~、それだけだし、でもそれでいいんだよな」と

大好きな言葉としてよく噛締めているのですが

 

それでも・たまには・

「やったということだけ」で終わらないこともあるんだよね。

 

一生懸命でも、いいじゃない。(*^_^*)