なんでこのところ40~30年前くらいの自分の過去の振り返りをしたかというと。

 

私は5年前に定職の陶芸教室の仕事を自分で辞めてから、ちょっと人生空転したんですよ。

最初の3年は制作に追われて居続けたので不安いっぱいな中でも自分を責めるほどの暇がなかったのが、

去年くらいから仕事に一区切りついたら、不安と貧乏の苦しみに負けて

「あの時辞めたのは本当に自分の判断ミスだった」「自分に厳しくすりゃいいってもんじゃなかった」

等々自分を責める時間が多くなったのでした。

 

で、現実って自分の波動が作り出しているから、さらにどんどん目の前の現実も辛い(と自分が感じるように)なっていきました。

毎日考えるのは将来飢え死にする老婆になっている自分の姿。(北原白秋の後妻さんの人生の漫画を読んだからだとは思うんだけれど)

人生の実現したい夢は「死んだときに腐って見つからないこと」。

そんなこと考えていていい気持ちで生きていられるわけもない。(笑)

さすがに自分は変だな、と思いつつ冬期鬱なので無理はしないでどうにか治めて、鬱の期間が抜けるころの3月末。

 

あー、陶芸教室やめて丸4年以上経ったわけだ。

4年っていうと4浪していたころと同じくらいの時間だ。

あんまり自分を責めないで、「人生に4浪した」くらいの気分になろう。

 

と思ったわけです。

ちょっと気が楽になりました。

そして、ふと気がついた。

 

あれ?4浪してた頃って今より全然状況として酷かったと思うんだけれど

全然自分のことを今みたいに責めたりしてなかったよね?

大学に受からなかった自分を責めたり、絵が描けなくなった自分を責めたり、全くしなかった。

なんでなんだろう?

 

と思った。

それがきっかけで振り返りをしてみることにしたのです。

丁度ゴールデンウイークに高校時代のクラスメイト達と会う機会があって話しても話しきれないことがあって、今は私はこうしている、ということを届かないでも投げておきたいな、と思ったこともあって。

 

なぜあの時は自分を責めなくて今は自分を責めまくっているかというと

自分に対して昔は自己評価が全くなかったからダメな自分でも淡々としていられたのに対し

今は半端な自己評価(というか達成してきたことによる自分への妄想)が邪魔をしていて

「私はこんなもんじゃない!」という焦りと

「でも体も心もついて行かない」という体力的な自分で作っている限界

のはざまでバタバタしているというのが若いころとは違うと言えば違うけれど。

 

でもこのさいあの時はなんで自分を責めなくて、今は責めるのか、という「原因」はよく解らないならそれはそのまま追求しなくていいんです。

 

ただ、あの時はそれでも自分を責めなかった、そして淡々と偉かった。

今もあんな感じで自分を責めないで淡々と有効なことをしていけばいい。

ここだけ見ていればいいんです。

 

この空転してきた4,5年間も後になって「あの時があったからこそ今があるのであれでよかった」と言いたい。

4浪したことは頭が悪かったり要領が悪かったりしたことの結果だけれど、

4浪して入った私立の大学で陶芸に大学3年で出会わなければ今の私はいない。

今度も良き未来を自ら作って、この4年を私が救いたいと思います。

 

それには、ここから、今から。

4浪をしていた時にふと「大学に入る準備ができた人から受かる」と気がついたように

とりあえず「自己肯定力・自己評価とお金に愛され度はイコール」と

「令和時代になってからさらに思ったこと・波動が現実化する精度が上がった」

というのは身をもって感じるところにあります。

 

(まだ正式に書けないけれど、私の友人が今あるミラクルを体験中です。

その話を知った時に「さすが令和!新時代!!なんでも叶うんだ!!!!」と激しく感動したのですが

一連のストーリーを見届けてから文章にはしたいと思います)

 

目下探しているのは「自己評価。自己肯定感をしっかり上げるワーク、習慣」。

感謝日記とか自分褒め日記とか自分のいいところを100書くとか自分の日々の言動をすべて褒めろ、とか

ありますが、どれもやってみたけれど冗談半分になってしまって続かない。

照れが出るみたいで。

そんなことで今回の振り返りの記事を日々読み直したりしています。

もー、自分大好き・自分のブログ大好き。(笑)

 

明日から台湾に行くのでパッキングをして今日のうちに成田に移動しなきゃ、なのにうっかりブログ書いちゃったYO。

さあさあ、動き出さないと。