人によっては10連休ということで、他人と会う機会が私にしては増える日々を送っています。

 

GW前のイベントでの物販に続き、高校同期の人との交流飲み会。

これはお隣のクラス主催で、私は声がかかるいわれもなかったんだけれど、某雑誌の記事で社会的に活躍している高校同期の方々と一緒にとり上げてもらう機会があって、去年からお声をかけていただくようになった。

 

高校時代は体を包んでいる空気に針でも入っているのかというくらい全身全霊で「存在している」こと自体が辛くて、まさか自分が高校同期の人達に親しくしてもらえるとは思っていなかったから、ずっと永遠にアウエイ感は抜けないだろう。

都立の進学校で才色兼備の御嬢さんとインテリジェンスなボーイ達の学校だったので、いじめられたりしたのではなく、私が自分でただガチガチに真面目な自分と周りのワイズ、クレバー&スマートな同級生達と全然接点が見つからなくてびっくりしてしまって精神的に引きこもってしまったってだけなんだけれど、

美術部と美術室がなかったら高校卒業どころか生きて18歳の春を迎えるのも難しかったと思う。

 

 

なんで私が高校時代に美術室にいる以外は辛かったのか。

「外目」、「他人から見た自分」、この意識が初めて自分に入ってきたのよ。

若いころは「客観性」とか言っていたけれど。

 

14歳の時にやみくもに気がついた。

 

自分が自分の感情も言動も子供なりにコントロールしているつもりでいたけれど、

自分も恐怖や怒りに乗っ取られて自分をコントロールできないことがどう頑張ってもあること・

自分をコントロールしても自分の狙い通りには他人は受け取ってくれるとは限らないこと・

人はそれぞれに勝手にそのひとの感性で傷ついたり怒ったりするので、何をどう頑張っても他人は私に怒ったり私の言動で傷ついたりすること。

 

私は恐ろしくなって本当にフリーズしてしまった。

 

何をどう頑張ったとしても生きているだけで人を傷つけてしまうかもしれない!!

 

怖くて生きていられない、でも自殺なんかしたらさらに大迷惑になるからできない。

で、14歳の小さな脳みそで考えたのは「いいこ」になること。

人と話をしていたら、自分の思ったことでなくその人が言って欲しいことを答える。

場の空気を読んでやりたくないし自分に全く向いていないことでも「やれ」と言われているようなことは、手を挙げて引き受ける。

小学校まで感性優位でエキセントリックな迷惑で嫌な子供だったんだけれど、贖罪に身を捧げているような人になってしまった。

 

お勉強と小説や漫画を読むことと絵や手芸をすることをしている間だけが起きて生活している中で頭の中から意地悪で厳しい自分に対するツッコミの声が止む時間。

人生よりお勉強のがずっと楽だった。

勉強は集中できる(頭の中が煩くなくなる)し努力すればちゃんと結果が出るし(人生とか人間関係と違う)学んでみて何かが「解る」「腑に落ちる」というのはピカッと心の中が明るくなるような救いの快感があったし、

物を知るということは灰色の針だらけの空間にしか見えなかった外界に、何かを知って感動した分だけ色が戻るような感じで、好きだった。

中学時代、周りは私を「カシコイ」と言っていたけれど私は学校の成績なんかより普通にとどこおりなく楽しそうに学校生活をできている同級生たちの方がよほど賢いと知っていた。

 

自分が何をどう感じているかよりも先に、相手の言って欲しそうなことややって欲しそうなことを言う。

率先してみんながやりたがらないことをする。

そりゃ、周りの褒められる人にだんだんとなった。

「えらいね」「いいひとだね」。

でも、全然嬉しくない。

自分の本心でやっているわけじゃないから。

先読みして心の中で綱渡りしているだけだったから。

褒められれば褒められるほど「誤解している」「私は人をだましている」と思い

自分が本心から人に接していないから、相手だって心の中で何をどう考えているか解らないから、

褒められても微笑みかけられても居心地が悪い、信じられない、受け取れない。

 

辛いなぁ、と思って生きていた。

で、高校に入ったら自分と同じくらいのヘンサチの子が集まるわけで、

もしかしたら自分と似た感じの人もいるかと思って、高校に行ったわけよ。

 

そ~~~~~~~~したら自分と似た感じの人は全然いなかった!(笑)

みんな後光が差しているように溌剌として美しい人が多く、しかも地頭も要領も良い、今まで自分の周りにはいなかった才色兼備の見本みたいな人達ばっかりだった。

 

私は写経をするように打ち込んでいたから何とかついていけていたお勉強を、みんな楽々と要領よく済ませる。

教科書をもらった瞬間「教科書レーダー」で全問解いてしまって授業はそつなくこなして

私のようなどんくさい奴に「予備校の宿題するから席替わって~」と言って最前列の席から移動していくような感じの人達が多かった。

そのスマートさというか要領の良さというのは自分の中に無い文化だったこともあって、

高校に入ってさらに浮くというか、沈んでしまった。

さらにここ(現世)に居ていいのかわからなくなった。

 

好きで手ごたえがあったお勉強が得意科目以外どんどん解らなくなったのも悲しかった。

苦手なりに嫌いじゃなくて解る喜びもあった理数系の科目が解っているスマートな皆さん中心に進むので全く呪文を聞いているようになった。

醜くて(姉と母に「醜い」「醜い」と言われてるうちにニキビだらけで太ってさらに醜くなった)

挙動不審で(ここに居ていいのか全く分からず人の思惑を気にしているのでいつもおどおどしていた)

そして本来の中身は「気分屋で怒りっぽくて感情が顔に出て自分勝手でだらしない」(家の中での私の評判)

な私の唯一の世間様に対する存在価値みたいなものが「お勉強ができる」だったので、

お勉強が解らなくなっていたころは立ちつくしている中でカミソリで体中から肉を少しずつ削られていくような感じがした。

 

まぁ、だからこそ手ごたえのあるものやホッと一息つけるもののオアシス感は凄かったんだけれど。

 

絵を描いているときだけは私は自分の感性を出して良かった。

絵を描くということを通じてだけ、私はじかに自分の目で物を観ている、触れているような感じがした。

絵を描いているとき・本を読んでいるとき・つまり何かに没入しているときだけ、体中を針がさしているような感じや頭の中で怒鳴ったり揶揄したりする女の人の声が止んだ。

 

私は4浪したんだけれど(なんでそんなことになったかというとまた書く)

普通に考えたら進学校で女子高生をしているときよりアルバイトをしながら新興宗教が蔓延する小さい予備校で4年も浪人している頃のがよっぽど「暗黒時代」のはずなんだけれど、

私の人生で最もつらかった暗黒時代は高校の3年、中2で「客観性」が頭から降ってきたときから数えると5年。

だって私は一切私の感性と判断で生きていなかったから。

生きてなかった。

 

絵を描くことというのは、一瞬一瞬の自分の感性と判断に全幅の信頼を持って、

自分が画面に成したことを全肯定しながら進む作業。

それは他人と接することに怯えきってしまって、人にどうにか合わせようとして挙動不審で生きていた高校生活の中での私の唯一の「本当の人生」。

 

私が4年も浪人してしまったことは私特有の自己肯定能力の低さと予備校の指導が合わなかったということがあるんだけれど、それでも「本当の人生」の中での失敗と葛藤と再生だったから、

いうなれば高校の時の美術室が世界全部に拡がったようなものだったから高校時代より全然ましだった。

 

美術室以外に本当に全く「ここにいていい」という気持ちが持てないままに、

その辛さをどう説明することもできないままに卒業式を迎えた時には

小さく天を仰いでホッと息をした。

行く大学もなかったけどね。

 

予備校時代の話はあらためて書きます。