天寿さん(旧・寿虎さん)の記事はご自身の過去記事引用が多く、それをたどっていくことも読む醍醐味のひとつ。
 
そんな過去記事巡りをしていて今朝であったひとつ。
 
「与えるオンリー」、「与える」意識でいつもいよう、というお話。
 
「与える意識」とは「他人に与える」だけでなく、自分にも「与える」意識になるということです。
 
これ、私は独り暮らしなので結構自分にやっているんですよ。
 
「あー、作業ばっかりで疲れたって言ってるから自分に甘いものでも与えてやるかな」
「今日は頑張ったから赤ワインをくれてやるぜ」
 
てな感じで。
でもちょっと「犬猫に餌をやる」感で言っていたので、もっとオホホな意識で可哀想な肉体労働者 才能に満ち溢れた頑張ってる陶芸家さんにオホホとねぎらいを与えてやる気分になるよ。

 

「与えない」を選択する時にも

「与える」という視点で行う。

 

誰かに自分が食べているお菓子を「頂戴」と言われて、あげたかったらその人に「与えた」。

あげたくなかったら断っても良い、そのときは「お菓子を自分に与えた」。

いつも「与える」視点に立ってみる。

 

 

とにかく

「与えるオンリー」のスタンスとは

何をするにしても

「与える」という視点で観る。

 

「与えるオンリーになりましょう」

ってのは

「自分は我慢して他人に与えましょう」

って事では無いんです。

 

「与えるオンリーになる」ってことは

他人にも自分にも

与えるオンリーになる

って事なんです。

 

↑これ、すっごい重要ですね。

 

「与える」って言葉を聞くと

「与えるほど持ってねぇよ」と内心拗ねてしまうケチで貧乏な自分が居るのですが、

むりやりと痛む財布をこじ開けて他人に与えるとかそういうことではなくて、

自分で自分に与えてもいい、

他人に私を潤わせる機会を「与えて」もいいのです。

これいいなぁ。

「他人に私をサポートさせてあげる機会を与える」

「他人に私に優しくする機会を与える」

なら私は鬼レベルで「与えられる」豊かな人ですもん。(笑)

 

 

私は今までなかなか「受け取る」ことができない方でした。

腰が引けずに人の好意や応援を受け取れるようになってきたのはごく最近です。

だけど、どんなことも「与える」の視点に立てば

受け取るときにも腰も引けない、「すみません、すみません、」と思う罪悪感も出てこない。

豊かに自分も「与える」をできて

誰かからの「与える」を「そんな機会を与えた」と豊かにとらえることができます。

 

さらに自分が何かを人に求めるときも、

今までは「御迷惑でごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」という姿勢だったのが

「私に協力する機会を与える」になって波動が全然変わります。

 

ああ、この視点に立つと世界はまさに豊か、豊か、豊かなのですね。