4日目になると、鼻呼吸に集中するアーナパーナ瞑想から体の表面を具体的に感じ取るヴィパッサナー瞑想へと指導が進みます。

 

1日目~3日目のアーナパーナの指導の間でも、2回目のコースを体験してつくづく思うのは自分はやっぱり自己流になっていたな、ということ。

テープで流されるゴエンカ師のその日の瞑想指導を聴いていて、「あれ、こんなこと言っていたっけ」と思うことがたくさんありました。

まぁ、最初のコースで一回聞いただけじゃ、ついて行くのがやっとで古い生徒さん向けの事なんか耳に残っていないのは当たり前です。

このコースは筆記用具禁止、ゴエンカ師の瞑想指導が文章化された書籍(いわゆる瞑想の指導書)も出ていないので、繰り返しコースに来て座らなければ自己流にズレていってしまうんだな、と解りました。

つまり、きっとまた来るんだろう、私。

 

それから一昨年に来た時と、ゴエンカ師の指導と日本語の通訳のテープが違うものになっていました。

前は女性の声の日本語、今回は男性の声の日本語。

だから瞑想の指導内容は同じだけれど、細かい説明の方法が表現は随所違っているところがありました。

 

例えばアーナパーナ瞑想を説明しているときに、「呼吸はできるだけ自然に、もしも気が散ったり体に痛みがあったりして集中できなかったりする時は、少し意識して強い息を使っても構いません」という説明があります。

前より「自然な呼吸」についてしっかり求められている感じがしました。

 

「アーナパーナ瞑想は『呼吸法』ではありませんから、呼吸を意図的にコントロールしたりしません。自然な息が鼻の穴や上唇の上にどのように具体的に感じられえるかに注目してください」

「気を散らさないように、息をする時に「吸う」「吐く」「吸う」「吐く」と頭の中で唱えるということも、それが「マントラ」になってしまうのでしないでください。この瞑想はマントラは使いません」

等々、アーナパーナ瞑想という導入部の瞑想の説明だけでも「あ・間違えてたかも」と思うような説明があり、軌道修正が出来ました。

 

思えば最初のコースの時にアーナパーナ瞑想で普段感じられないような妙な体験をしたのはアーナパーナでなくて別の種類の「呼吸法」をやっちゃっていたのよね。

 

(この辺の体験です  https://ameblo.jp/newtako/entry-12338830580.html?frm=theme )

 

丁寧に呼吸をする、ということにフォーカスしすぎて呼吸をコントロールしちゃって、肉体的に何か変な作用を起こさせちゃったのね、あれは。

それは陶然としたり常識では考えられない感覚だったりしたけれど、そこに自然に起こっていることに繊細に気付く、ということでなくて身体を操作して「作りだされたイリュージョン」だったのね。

それをまた感じようとしたら呼吸を操作すればできるようになるかもしれないけれど、ヴィパッサナー瞑想は「正しく視る」「全てに目醒めている」ための瞑想だから、そんな脳内麻薬みたいなもので酔っちゃうのは違ったんだねー。

 

その後ヴィパッサナー瞑想に移ったあとでもずいぶん勘違いをしていたかも、ということはありました。

だから10日のコース以外にも各地で開かれているこちらのヴィパッサナー協会主催の1日瞑想会などにできるだけ参加したほうがやっぱり良いかも。