2日目の朝も、はたっと4時前には起きて鐘を鳴らしシャワーして自力整体して朝の瞑想から1日の始まり。
とにかく、体の痛みをどうにかしない限りちゃんと瞑想なんかできないわけです。
どげんかせんといかん!
そこで10日でどうなるというものでもないかもしれないけれど、
朝晩寝起きのタイミング以外にも休み時間ごとにしっかり自力整体をする
膝抱え金魚運動、レッグレイズロール、仰向けに寝て足を上げて膝をパカパカ開く運動、脚を股関節からグルグル回す運動、と思いつく限りの体操をしました。
なんなら瞑想と瞑想の間の10分程度の短い休憩の間にも自室に駆け込んで少しでも腰を伸ばしたり股関節を回す体操をする、
朝ごはん・お昼ご飯の後のまとまった休憩時間にはしっかりベッドに入って昼寝をする、
瞑想時間以外はとにかく整体か休息か、常に身体のコンディションを良くすることに集中しました。
本当はヨガを含む運動はお控えください、という通達が出ていたのだけれど、
瞑想が出来なきゃしょうがないじゃない。
ここは瞑想をするために開かれているコースでしょ?
瞑想ができるようになるためになら(こっそりなら)自力整体くらい、いいじゃないか、と開き直り。
瞑想用のマットについてもいろいろ試して、結局他の人達がよくするようにお尻部分を高くして膝を低くすると私は逆によけいに痛みが出てしまうことを発見。
小座布団をロールに巻いて膝の下にあてがって膝が下に下がらないような感じのゆるい胡坐が股関節に負担がかからないでベスト、と割り出しました。
1時間痛みが無かった時の枕の当て方を発見した時は心の中でガッツポーズを取ったよ。(笑)
(でも、毎日身体は変わっていくので同じクッション位置でいつも良いというわけではなかったのが「無常」なのでした・笑)
こうして痛み対策が徐々に進んだ中、瞑想中に入るゴエンカ師の指導か夜の講話でか、ハッとする言葉がありました。
それは「聖なる沈黙」の効果についての話でした。
何故聖なる沈黙は大切か。
それは生徒同士で修行の途中に話をしてしまうと、どうしてもお互いの修行の進捗を比べてしまったりして修行の妨げになるから、と説明されます。
「誰一人今までの人生が同じだった人はいません。だから修行の間に体験することはひとりひとりが違うものです。比べることは全く無意味です」。
うんうん、そーそー、と聴いていました。
んで。
ハッと気がついた。(笑)
私は他人と自分を比べてはない。
でも、私は「1回目の私」「一昨年の私」と私を比べて競っている!
ついでに言うと、妄想の中の「古い生徒さん」と自分を比べて凹んでもいる。
ばかか。ばかなのか。
全然「いまここ」に居ないじゃないか。
私は何と戦おうとしているのか。
私が、今回体が痛いのはもうしょうがない。
私はここに来る前にきちんとヴィパッサナー瞑想の修行を積み上げてこなかった、だから今こんな恥ずかしいことになっているけれど、それももうしょうがない。
たぶん、私の今回はただ痛みにどれだけ耐えられたか、10日で少しは痛くなく座れるようになったか、その程度の事にしかならない。
でもそれもしょうがない。
今現在の自分がそうなんだから、受け入れて、ばちっと身体の真ん中に自分が据わらなければ
本当にただ電子機器を絶って1日1食半しか食事をしないで4時に起きて10時に寝る、という体験をしたってだけになる。
ま、それだって素晴らしい。
まずその「素晴らしい」は確保できているのだから、後はそこから1ミリでも2ミリでも何かが深まればめっけもんじゃないですか、俺。
2日目か3日目か。
そこでやっと私は本当の意味での合宿の初日を迎えられたような気がしました。