遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
並木さん講演会レポのお陰様でずいぶんたくさんの方からフォローを頂いた年末年始です。
レポはまだ少し続きますので、今少しお付き合いください。
見様見真似で迎え花を活けて
お仏壇にも鏡餅とお正月向けの花。
陶芸家なんだから花器を揃えて焼けば良いのに、そこが紺屋の白袴。
来年は考えよう。
今年は昔ほとんど送料だけでヤフオクで手に入れた塗りの御膳を思い出して花台と荒神様や水神様のお供えに使いました。
買ったは良いけど立派過ぎて圧倒されて、しまいこんで忘れていたもの。
使ってあげられて良かった。
まー、こんな調えても私も30日から3 日まで不在、この設えを見たのは私と4日5日に泊まりに来た母だけなんだけどね。

神様と仏様が見るのがメインだからよいよい。





暮れに神棚を調えているときに気がついたこと。
普段は見上げているだけの神棚に椅子2つ重ねて上がって掃除や幣紙を変えたりしたんですが。
うちの神棚から、すごく良い「氣」が出ている。
良いと評判の神社にお参りしたときとか、小さなパワースポットに詣でたりした時に感じるくらいの「氣」。
私は呑兵衛らしく「御神氣」は「良いお酒をクイッと一杯引っ掛けた感じ」の胸のあたりがぽわーんと温かく、「陶然」とする感じで感じます。
神棚を拭こう、と神棚に手をついたらぽわーん、と来て
古い御札を神棚から出そうと手に取ったらさらにそれからじわわーん、と、来た。
神棚から出しちゃいけないのかな、と一瞬躊躇したくらい。
去年はそんなこと思いも感じもしませんでした。
私が真剣でも雑でも、居るときはとにかく手を合わせてきた積み重ねなのか
新嘗祭からお酒をお供えしはじめたからか
理由は不明。
私自身もなんちゃって瞑想でもなんでも、忙しすぎた春と夏以外は意外と瞑想をしているのでその積み重ねで、ちょっと私の感度も良くなっているのかもしれない。
でも私のように雑な手の合わせ方でも(本当に神棚に向かうときは日々のルーティンで雑なもんです)
毎日手を合わせる、祈りを捧げる事で「場を育てる」ことってできるのかもしれません。
それはなんか素敵なことです。
そうやって家中を、街中を、氣の良い場所にしていけたら
す ご い 素 敵 なこと じゃないですか?