私は独り暮らしの自営業、仕事も生活も「咳をしてもひとり」。
それは並木良和さんの「手放しと統合」のワークをするのにとっても都合がいいので、
ちょっと嫌な思い出や感情が出てきたりすると作業を中断してせっせとワークをしている。
その感情が出てきたときにしか統合のワークはできない。
今日はひとつ親関係で溜めに溜めていた怒りを不動明王の光背の様な炎の形にして手放したら、
それが蓋になっていたと見えて出てくる出てくる、
「あの時はひどいと思った」「あの時嫌だった」「いくら『赤ちゃんはお母さんを幸せにしようと思って生まれてきます』って言ったって、子供を親の感情のごみ箱やサンドバックにするのは酷かった、私は可愛い何も解ってない子供だったのに!」
クラクラするくらい、吐き気がするくらい悲しみや怒りや恨みが出てくる。
自分、「癒えた」とか「卒業した」とか思っていたけれど、やせ我慢していただけだったのかもしれない。
でも、出てくるからには手放せる。
こうなると、自分がしつこく過去の思い出を反芻して嫌な気分になりがちな性格なのも
そもそも繊細と言えば聞こえがいいけど情緒不安定でちょっとしたことで傷つきやすかったのも、
何世代にもわたって使ってきたそういう「地球の波動」を全部今こうやって手放すためにそんな面倒くさい性格だったのかもしれない、とすら思える。
だからもう、盛大に思い出して、棚卸して、
全部手放してやる!
そもそも子供の私がどんな波動であの母を作ったのかわからないけれど
ってかそんなわけないと思うんだけれど・
(いや身ごもった時点で「生みたくない」「お前は生みたくなかった」だから、赤ちゃんでもそんな波動出ちゃったんだろうなぁ)
詳細は良いからもうじゃんじゃん手放す。
母だって実体がないスクリーン、過去の母なんかもっとスクリーン、いないものをいつまでも怒っていても始まらない。
「手放し」をしようとする前に、「こんな思いをただ手放すの?この気持ちに対する『慰撫』や『許しと和解』とかは要らないの??」
「自分のために怒るのは健康な反応だよ?」
とすごく抵抗する心も出てくる。
地球での「毒親ゴッコ」に執着しているんだなあ、と思い知る。
そうか、やっぱりそうやって自分でそのドラマを作っていたんだよ。
さぁ、そんなつまらない遊びは終わらせて前に進む。
全部手放してやる~~~~~~!!!!!!!