窯詰めは制作で最も事故が起きやすくて神経が尖る日。
私の作品は作品を直に持ったほうが安全、でも私ひとりで持つにはやや重く窯場が遠いため、誰かの助けが必要。
隣の窯部屋にある窯まで台車など使えないかと画策したけれど、段差がある道のりで手運びが一番ということを再確認。
前日にどうしようかと色々考えていたら日系ブラジル人紳士Tさん69歳が「ボクがやりましょ?」とおっしゃる。
ちょっと試してもらってやれそう、と、いうので甘えることにする。
「キョウコさんの窯詰めが、うまく行くように今日はお祈りして寝ます」って、Tさん優しいなあ。
で、明けて本日日曜日。
通訳ジェイソン君はこの土日休みで、窯詰め窯焚きは全く英語は話せない工場長のホンヤン氏(スレンダーでニヒルな40代位の方、すごく静かなんだけどすごく仕事できる感じ)と、窯場の主任らしい昼休みになると毎日私達の場所に昼寝に来るよく太った気の良さそうなおいちゃんが私の面倒を見てくれることになっている。
木曜日の段階で私が「ふと」第六感が来て窯詰めの日程や手順の再確認をしたくなり、ジェイソン君に声掛け。
そこで作品の乾燥具合から当初の予定より1日窯詰めが遅くなり、ジェイソン君不在で窯詰めとなることとなった。
こちらの希望はホンヤン氏と窯場のおいちゃんには伝わってる感触はあるけれど、あとから窯の焚き方や細かい要望を伝えそこねたことが有るのに気がつく。
グーグル翻訳アプリでざっと言いたい事を調べ、しかし陶芸用語だから正解か自信がないから台湾人の日本語ペラペラの友人たちに確認のメールをする。
結局台湾友人たちの返事が来ないまま窯詰め当日になり、
私も肝を据えて翻訳アプリの文章を写したノートに図解を添えたり、単純なタイムテーブルと温度の指定を表にしたものを準備する。
図解を見せて「作品の下にアルミナ(という耐火性の高い粉)を敷いてください」と身振り手振りしたら窯主任のおいちゃん、しっかり解ってくれた。
作品を窯場に運ぶのは結局ホンヤン氏が電光石火の勢いで軽々としてくれたし、(惚れそうになった)
窯焚きの細かい指示もタイムテーブルを見せたら深く頷きながらわかってくれた様子。
安心して窯の蓋を閉じようとしたら、ホンヤン氏がシブい無表情のまま制止する。
あれ、なんだろう?と思うと、身振り手振りで私に窯の前に立て、と。
シブい表情変えずにスマホで写真撮ってる。
ますます惚れそうになったよ。(笑)
とにかくこれで最難関の窯詰めはトラブルなく終了。
仕事場をざっと片付けて使わない道具を梱包して、やることがなくなったから全然歩いていなかった陶芸村の外に散歩に行く。
冨林陶芸村は冨林の町外れというか街が尽きる場所にある。
そこから一時間くらい歩いて「温泉河」なる大きな川を越えていくと近代的な冨林の中心地区になる。
午前と午後を使って陶芸村と陶器工場の周辺や陶芸村から中心地区まで歩き回ってみる。
とにかく平らで広いから、工場の塀や道路が消失点が見えないくらいまっすぐ長く続く。
政治家の記念館や巨大な中学校、凝った外装の高層住宅や整備された巨大な公園など、最近出来た新しい設備の巨大さと新しさ、立派さと
本当に昔ながらの集落や商店街らしき場所や何十年か前に陶芸村に絡んで再開発されたけれど続かなくて閉まっているお店ばかりの通り、
新しいものと古くからの場所、古くなった場所の対比というか落差が凄まじい。
どこまでも続く真っ直ぐで広い道路を結構な高級車と一緒にノーヘルメットで3人乗りのスクーターやトラクターみたいなものに荷台を付けた車輌が楽しそうに走っている。
そんな風景に象徴されるような場所。
トラックの外側に卓球台がズラりと並んでいました。