18日は夜に陶芸サークルでの指導、そのまま東京の実家に泊まる。

地獄の暑さの東京で、私の実家には母の部屋にしかエアコンが付いていないために妹が夏は母の部屋に避難して就寝、私もいつも寝ている仏間に寝たら命の保証がないので母の部屋と繋がっている洗面所(!)にドアを開けてもらって眠る。

私は西式健康法の「平床寝台」を実行しているためもう敷布団は使っていない。

薄い夏物の敷きパッドを直接床に敷いてお腹にタオルケットをかければ私の夏の寝床は完成、首の下にタオルで巻いたアイスノンなんかあれば十分快適に寝られる。

山梨では毎日毎日午後に雷雨が降るのだけれど、東京は全然、だそうだ。

 

19日 陶芸教室代講最終日、そのまま夕方は生徒さん達と納涼会。

みなさん楽しく和やかで良い会だったけれど、ひとり空気が読めなくてずけずけしたかんじのオジサンが来ていて、その人の前に座らされる。(そういう人だからみんな周りに座りたがらないから私が座らされるわけ)

その人が大きな声で何度も何度も「センセーはどうやって生計立てているんですか?」と聞くのには閉口した。

正直に「私は食えてないし、この代講がおわったら即路頭に迷うけど、他の作家さんは別に陶芸だけで生きているよ。器の作家さんなんかは夫婦で陶芸家で子供も育ててる人なんていくらでもいるよ」とか答えておいたけれど、あれはなにが訊きたかったんだろう。

思い出したら腹が立ってきちゃったな。

 

20日 朝から早起きして中国ビザの書類を書いて、実家のお墓参りを済ませてから神谷町のビザ申請センターに。

貼っていった写真の背景が「白」でなくて薄い水色だったのでそれでまずアウト、撮りなおして書類を整えてカウンターでの面談になったらうっかり自分が消せるボールペンで書いているのが発覚、書き直し。

書き直して持っていったら書類の書き方の勘違いから問い詰められて余計なことを口走ったせいで、「アナタの滞在は観光じゃなくて交流だから交流ビザを申請しなさい、それには必要な書類が足りません!」と突っぱねられる。

並んで2度やり直しになって何度も待たされて挙句に突っぱねられて、深いため息。

ちょっと言葉の行き違いもあったし、時間的に最後の方で職員さんがどうもめんどくさくなっていたみたいだというのもあるし、それから中国の人独特のサービス精神のなさもあるけれど、けんもほろろ、っていう感じを久しぶりに味わった。

みんな中国ビザの申請は業者に代行させるわけだわ。

私はアメリカ滞在で何度もビザを申請したけれど、突っぱねられたことなんて1度もないよ。

それはもちろん受け入れ先の書類がきちんとしているからでもあったけれど。

とはいえ私は出発まで1か月切っているので代行を頼んでいる時間の余裕はない。

山梨と都内ならまた出直したって平気な距離なので、申請が通るまで粘るしかない。

 

その後委託していたけれどお嫁入りが叶わなかった作品を引き取りに行って、荷物が多いので特急に乗って山梨に帰る。

 

修行ゴッコは、19日に

ゆめみる宝石「ありがとう」回数 4377回 トータル20万4千478回

19日は西式体操、体幹トレーニングだけ実行。(体操する気だったのに2度寝してしまったから)

 

20日は西式体操、体幹トレーニング、スクワット2種、だけ。

 

山梨はまた今大きな雷とともに夕立があったので快適な涼しさになりました。

シャワーでも浴びて買い出しと図書館にいきましょうかね。