さて・昨日は 東京オペラシティアートギャラリーの 「イサム・ノグチ ─ 彫刻から身体・庭へ ─」展の
http://www.operacity.jp/ag/exh211/
関連講演会「コラボレ—ターが語るノグチの制作の現場と“未来への贈り物”」 というのに行ってきました。
イサム・ノグチの壮年期以降の石彫の実質的な製作者の和泉正敏さん(石彫家、公益財団法人イサム・ノグチ日本財団理事長)、公園、噴水など公共的な作品の協力者の日系アメリカ人建築家 ショージ・サダオさん、
話をまとめるのは自身が館長を務める大分県立美術館でも同展を開催した新見隆大分県立美術館館長(同展監修者)によるスライドトークと座談会。
イサム・ノグチ。
日本人の美貌の国際的詩人とアメリカ人の女性編集者の間に生まれた美貌の彫刻家。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%82%B0%E3%83%81
イサム・ノグチと言えば日本人なら提灯をモチーフにした和モダンな灯、
香川県牟礼のイサム・ノグチの庭園美術館 http://www.isamunoguchi.or.jp/
北海道のモエレ沼公園、を思い出すかな。 http://moerenumapark.jp/isamu_noguchi
陶芸家の私としては華道の草月流の所蔵する前衛陶芸の数々、
草月会館のエントランスの「天国」 https://www.sogetsu.or.jp/know/hall/plaza.html
と、けっこう知っているつもりだった。
でも全然。
ノグチがバックミンスター・フラーと「親友」と言えるほどの仲だったこと、
太平洋戦争期にそれなりに人気作家であったのに自ら志願してアリゾナ州の日系人収容所に収監されたこと
などは初耳。
フラーとの交流がどれだけ単なるブランクーシの弟子である彫刻家をパブリックアート方向に目を開かせたか、父母の間を行き来するような育ち方をして結局は母方のアメリカで育ちながらも母の姓ギルモアを捨ててノグチをアーティスト・ネームとして選んだ決意のほどを感じさせた。
1930年代に北京に滞在したノグチが残した人体を大画面に墨で素描した「北京・スケッチ」のシリーズ、舞踏家マーサ・カニングハムの舞台装置や衣装の仕事を通じてのノグチと「たゆたう身体性」の関連性を述べた新見先生の言及は講演後オペラシティアートギャラリーの展示で、特によく知っていたと思った陶芸の仕事の豊かなボリュウム感、粘土の柔らかさの「ささやき」のようなたゆたいを逃さない「目」と「手腕」にあらためて感じ入らせていただけた。
とーにかく、イサムノグチという人は本当に多彩・多才な作家で。
東京オペラシティの展示では 米コネティカット州のエール大学の写本図書館の端正な幾何学的な中庭の永遠性、米国デトロイトのホーレス・ドッジ・ファウンテンという水の流れ・奔出・霧と水の様々な位相を見せる造形でもある彫刻噴水が自分の中のノグチ観を覆して豊かな体験だった。
なんかさぁ、とにかく「あかり」のシリーズだったり慶應義塾大学のクラブハウス「新万来舎」の古代中国の銅器に想を得たテーブルと椅子のデザインの素晴らしさ、デザイナーとしても禅寺の庭および日本の原風景に色濃く影響された作庭デザイナーとしての手腕などで各分野それぞれが華々しいので解ったような気になっていたけれど
イサム・ノグチってこんな良い作家だったっけなぁ、と失礼ながら思いました。
「かたち」が、かたちの膨らみとか足のふんばりかたとか、そんな単純な形が「ゆたか」だな、と思わせてくれる良い体験をしたのが、彫刻家としてはよく知っていると思っていたイサム・ノグチだったというのはなかなか楽しい、新鮮な体験でした。
7月14日、体幹トレーニング・西式体操は実行。他はしてません。
7月15日、な~~~~~~~~~~んにもしてない。筋肉休養日。