ひさしぶり、というか10年ぶりくらいの母校は古いプレハブみたいだった染色やガラス・陶芸の実習室は立派なビルに建て替わり正門の位置まで変わっていてかなり様変わりしていました。
傾斜の多い敷地を利用して造園的にも借景を生かしてキャンパス風景の美しさも考慮されて、この何年か出かけて行って展示や講義をしたアメリカや台湾のお金のある大学みたいになっていました。
これからの少子化時代には設備も良くないと絶対に生き残れないし、大体昔の多摩美が美大なのに異常に美的じゃなさすぎたのよね。
(ほんと昔は「サティアン」みたいだった)
灰色の山の上の牢獄みたいな外観の本館講義棟はそのまま・でも中は綺麗に改装されているそう。
本館の地下にあった学食「イイオ」は私の学生時代にはお洒落な喫茶とカフェだった絵画棟1階の「東学」の場所に統合された様子。
母校は映画「NANA」で主人公のうちの1人の「ハチ」の浮気して別れちゃう彼氏が通っている美大として映画出演して、映画で出てきた異常にゴージャスな「イイオサンド」は映画から飛び出してリアルにも存在するようになっているのかをチェックするの忘れました。
昔はあったプールや大きなグラウンドはどうも無くなったようだし、学校の周りギリギリまで民家が押し寄せてきていてこれはもう一晩中プロのミュージシャンを呼んで大騒ぎした芸術祭の「オールナイト・ロックフェス」なんか廃止になるわよね。
さてさて、やってきましたよ・母校で「自作と活動について」語る3時間。
2年生から大学院生まで47人、ということでいつものスライドレクチャーではお見せしないような学部時代に作った作品や、作風が変わる前に停滞しているときの作品や失敗作もふんだんに公開しました。
そんな感じであれもこれも、と欲張ったら画像が158枚にもなってしまって、3時間で間に合うのか冷や汗をかいたけれど、どうにか時間内に終わって質疑応答の時間も取れました。
学生は最近の美大は9割女性、と聞いていたので覚悟していた割には男子生徒も多くてバランスが良かったです。
昔に比べて泥だらけやビリビリにやぶけた作業着とか、ニオッちゃいそうな子はいなくてみんな小奇麗でしたね。
このレクチャーの準備をするにあたって久しぶりに自分のプレ作家時代から今までの制作と活動を自分でも画像を編集しながら振り返ったんだけれど・
胸がいっぱいになりましたね。
自分が愛しくて。(笑)
アンタ、よくやってきたねぇ、と。
親に反対されても続けて、陶芸の仕事につけなくてキャデイになったりコンクリート工場で働いても続けて、日本で食えないから奨学金やグラントを取りまくってアートプログラムジプシーになっても続けて、
何度かスランプになっても続けて、30年近く経った今も続けている。
よく作ってきた、よく続けてきた。
私を紹介する時に主任教授先生が「若い時期にすっと作家になった人でその後も続けていられる人ってすごく少ない、そういうところも何か学んでください」と学生に言っていたけれど、そういわれるとそうなのかもしれない。
(私は同業者ってそういう幸運なデビューをしてもそのまま続けている人ばっかりだとも思うけどねぇ。
でもアート界も一発屋で消えて行ってしまう人はその何倍もいて、私のようなずぼらな人間には見えていないってだけなのかもしれない)
とりあえず自分って自分の認識よりたいしたもんだった、というのはちょっと自覚しました。
上には上がいるし私は欲が深いので「まだまだ」「もっともっと」とかすぐに考えてしまうけれど、自分がやってきたことはフラットにちゃんと評価して認めてあげないといけないね。
そして「まだまだ」「もっともっと」という欠乏っぽい認識はもうやめて自分よりもうんと活躍している作家については「それは次の私のステージを指示してくれている」ととらえます。
そういうのが無理なくそう思えるようになった。
まえはちょっと頭で納得させながらそう思ってたのね。
3時間話しても深いところまでは全然話せず雑になってしまった反省もあって、機会があれば何度でもまた話に行くよ、と思いました。
母校、また呼んでね♪