心屋仁之助さん(ぢんさん)の考えかたで「前者・後者」(飛ぶ族・飛ばね族、と言い直したがっているが定着していないような)というのがありますよね。

 

前者=マルチタスクができる、空気が読める、俯瞰で物事を考えられる・社会的に「できる」と言われているようなタイプ

後者=一点集中型、感覚的で空気を読めない、没入型でひとつひっかかったり混乱すると「頭まっしろ」になる・社会的には「困った人」

 

以下にまとめがあります。

 

https://ameblo.jp/kokoro-ya/entry-12147677137.html

 

 

で、私はもちろん一つに集中すると他は見えなくなり、自分のペースを乱されると頭真っ白になる「後者」なんですが。

この理論でやっとある種の他人が私を「指導」する時のやり方がすごく辛かったのがわかりましたよ。

 

車2台で、ある人の運転する車の先導で、私が自分の車で運転して「ついてきてくれればいいからぁ~~」と言われて。

まだカーナビなんてなかったころの話。

「それは苦手だから最初にその目的地のお店の名前と大体の行き方を教えておいてほしい」

と私は一生懸命頼んだのに、

「ダイジョーブ、ダイジョーブ、ついてくればいいだけだから」と取り合ってくれない。

で、結局私はその人の車についてけなくてパニクって、単独事故を起こしてしまいました。

辛かった。

 

沖縄三線を習い始めのころに、私に親切にしようと思ってくれたらしい先輩がインストゥルメンタルの「瀧落とし」という曲を教えてくれようとして、なぜが楽譜もなしに「向き合って手を見て同じようにしてくれればいいから」というおっそろしい教え方をしようとしてきたことがあって。

(江戸時代とか戦前の習い事の教え方って、そうだったんでしょうね。教えてくれたのは同世代の女性でしたが)

「その曲をまずは最初に通して聞かせてください」「私は今読めなくても楽譜があった方がやりよいです」と主張しても、

「いいからいいから、ゆっくりやるからついてきてくれればいいから」。

・・・・・・・・・・・・・。

混乱するばっかりで全然頭の中でシナプスがつながらず、頭を下げてその指導はやめてもらいました。

今ならその曲はネットで聴けて手元に楽譜もあって、まだ弾けないけど練習すれば弾けるようになると思う。

でもその時辛かったことが回復していなくて、まだ弾きたい気持ちにならない。

 

友達と2人で旅行に行って。

帰りをどういう順路で帰るか決めていなかったので、帰る新幹線の指定席を取っていませんでした。

普通運賃の切符だけは買っていたのかなにかでちょっと面倒くさく買い足すようなことになりまいた。

面倒くさいので「みどりの窓口に並ぶ」と言ったらその友人が大反対をして「機械で絶対に対応できる」と主張。

「あなたは私が並んでいる間にお土産物でも見に行っていたらいい」といったのですが

「機械で買えるし買えるようになった方がいい、私が横について逐一教えてあげるからこの際できるようになっておけ」とあくまでも私に自由にさせてくれません。

結局彼女の指導ではうまいこと予定の切符は買えず、券売機の横に立っている駅員さんにヘルプを出して買えたのですが

今でもどうして普通にみどりの窓口に並ばせてくれなかったのか、嫌で辛い思い出になっています。

特にこの場合「私が横について逐一教えてあげる」というのが私には嫌で嫌でたまらなかったのを覚えています。

なぜならこういう教わり方だと私はその人の指示をその都度受ける事だけに必死になってしまうので、流れでその教わったことの全体をとらえることができないで、ただ混乱して辛くて疲れてしまうだけで「教わったこと」にならない。

そして相手にとっては私は突っ込みどころ満載なので「そこが可愛い」と言っていたけれど、こちらはすべて見張られているようで窒息しそうて本当に辛かった。

 

こういう辛かったなぁ、相手は良かれと思っているだろうことがどうして私にはただ辛いんだろう、そして私には嫌で嫌で苦しくてたまらないことを相手は「これが最もよくわかる伝え方だ」と自信満々でまったく自分の方法を疑いもせずに押し付けてくるのはなんでだろう、と考えてきました。

 

で、「前者後者」理論が出てきて初めて腑に落ちた。

あの、押し付けてくる人たちは「前者」なのでした。

前者の皆さんには後者の苦しみも頭の構造も解んないんだよね。

で、自分でこれが正しいと思ったことを疑いもせずに(前者は自分が間違ってるかもしれないってたぶん一回も思ったことないんじゃないかと思う)押し付けてこられる。

でも、世の中の半分くらいの人は「前者」の頭の構造じゃない人もいるわけで。

 

「前者後者」の話は後者の私には「自分は脳の構造がおかしいのだろうか」「なぜすごく努力してもできないんだろうか」という苦しみを解放してくれて(あきらめた、ともいう)

本当に救いの理論でした。

 

で、世の中の勝者たる前者の皆さんにもこの理論はあらためて知ってほしい。

知ると、前者の人の善意と好意でいっぱい、と思っている私達後者への「アドバイス」「指導」が、

せま~~~~~~~い自分の成功体験からの暴力的な押しつけであることもある、

ということが解るときがあると思う。

 

解る理解力、自分を顧みることができる知性のある人ならね。

 

ちょっと色々思い出して辛くなってしまったよ。