今、町内の新聞屋さんから頼まれて新聞の1週間無料トライアルが手元に届いている。
私は移動が多いし一人だし3社くらいネットの新聞無料サービスに入会しているので、「トライアル終わっても絶対に新聞とりませんよ」とは言ってあるのだけれど、新聞屋さんにはトライアルを取ることにもノルマがあるらしいのだ。
実際は紙の新聞は大好きなんで、情にほだされることになったのだった。
紙の新聞の何が好きかというと、興味のない話題でも同じ紙面にあるためにふっと目に入ってきてしまうところ。
「犬も歩けば棒にあたる」式にぼんやり紙面を眺めていると思いがけない情報を得ることがあって、そんなときに思いがけない分だけ心がゆすぶられることがある。
今日の収穫はね、まず地域の訃報欄をなんとなく眺めていたら。
16人の訃報のうち、90歳越えが9人、そのうち100歳越えが2人。
もしかして山梨って知られざるご長寿県なの??とFBでつぶやいたら、先輩が「健康長寿全国一」県だよ、と教えてくれた。
「幸せ度一番」県なのは知っていたけれど。
もう一つ。
文芸の話題で短歌VS俳句、という話題があって、読んでいたら
正岡子規の「いくたびも 雪の深さを 尋ねけり」 というのがあって、愛媛県生まれの子規がどこでこの句を詠んだのかは知らないけれど、暖かい地方の人が雪を楽しく思っている様子、でも病床で起き上がってどのくらい積もったのかも自分では確かめられない様子が17文字に凝縮されていて、涙が出てしまった。
もう一つ、夏目漱石の「有るほどの 菊投げ入れよ 棺の中」 で、この2年くらいで参列した幾たびかのお葬式のことを思いだして「有るほどの菊を投げ入れたい」と確かに思うよね、とまた涙がぽろぽろ。
この句は漱石は誰を悼んで詠んだ句だったっけ?とここから新聞を離れてネットで検索。
閨秀作家の大塚楠緒子を悼んでのものでした。
以下のHPでその辺のことが詳しく書かれています。
漱石の「硝子戸の中」はたしか読んだけれど、もう一回読もうかな。
子規の「病牀六尺」ももうそろそろ私が内容を受け取れそうだから読みたくなってきた。
そんなこんなでこの記事の「短歌VS俳句」は、私はもしかして俳句に軍配が上がるかな?と思ったが、新聞記事に紹介されていない 寺山修二の短歌、「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」そのほかを考えると短歌もいいいよなぁ~、
とボーっとしてしまった日曜日の昼下がりのことでありました。
こんなことだから作業時間が少なくなっちゃうけれども、
こういう時間こそが「ああ、この世って良いもので満ちているなぁ、生まれ来てよかったなぁ!」と思う瞬間なのです。
こういう時間は削れないわ。
【追記】
寺山修二の短歌をちょっとネットで検索していたら、寺山修二と直接関わりのあった松岡正剛先生の憧憬にあふれた書評があって、これも心が揺さぶられた。
http://1000ya.isis.ne.jp/0413.html
寺山修二も中・高学生のころ妙にハマったことがあったけれど、また読み直したい、観直したい。
ああ、好きなものだけ観て読んで呆けて生きたいなぁ。
【最近の修行ゴッコまとめて】
11/23 太陽凝視 41分30秒
延命十句観音経 279回 トータル13189回
11/24 太陽凝視 42分
延命十句観音経 269回 トータル 13458回
11/25徹夜したからお休みした。
11/26 太陽凝視 42分30秒
延命十句観音経 204回 トータル13662回
天気が良いので太陽凝視が好調です。