【11/21の修行ゴッコ】
太陽凝視 41分
延命十句観音経 244回 トータル12910回。
太陽凝視があと残すところ3分、今30秒刻みでやっているのであと6日で44分達成。
「食べ物に興味がなくなる」はたぶん44分達成しても実現しなそう。
でも、できたら「食べたいときはいくらでも食べられて、でも基本は全然食べなくても平気」という「不食の人」になりたいなぁ。
断食者と不食者の違いは、断食者は断食から急に食べ物を取るのは命に関わるほど危険なのに対して、不食者は全然食べていなかったのに「今回は食べる」みたいに急に普通のものを食べても平気なようです。
去年、俳優の榎木孝明さんが30日「不食」をした後に最初の食事が白ワインとサラダとスープと少量のフランス料理だというので、断食で回復食に断食よりもずっと気を使っている私はぶっくらこいたもんだった。
不食の弁護士、秋山佳胤先生も付き合いで会食することはあるそうで、「不食の人は急に食べても平気」説はこの秋山弁護士の文章か講演(の動画)で聴いた覚えがある。
そういえば私も。
金曜日に高校の授業に行くときは午後2時間だけなのに朝の9時には電車に乗って、11時半から1時まで授業の準備をして、授業が終わったら片づけを済ませると16時過ぎになってしまう。
その間、基本的に私は水とコーヒーとあったらリンゴ1,2片くらいしか口にしないんだけれど、お腹も鳴ならないし空腹でイライラもしない。
これは少しは太陽エネルギーが体に回っていることになるのだろうか?
でも先日「定期的に断食すればすい臓が休まって糖が出なくなるらしい」と気が付いたものの、なかなか断食再開には踏ん切りがつかないんだけれど。
たぶんまだ追加注文を作らなきゃならないのが微妙なプレッシャーで、そこで「食べ物くらい食べさせてくださいよ~」に心がなっているんだろう。
頭が思っているより心の方はまだ休息が必要なんだろう、許すよ。
いざとなればちゃんと私は断食できる人だし、あの初めて見た時には(いくら健康のためでもこればっかり食事で食べるのは嫌だなぁ)と思った青泥に玄米粉の食事が楽しく続けられる人でもあったんだんだから。
太陽凝視&アーシング効果で特筆すべきことがひとつ。
足が冷えなくなりました。
と・いうか冷えてても冷えが体全体に回ってこない、「ああ、足の裏冷たいなぁ」くらいになって、身体の方まで冷えてこなくなった。
これは、11月になってからは特に太陽凝視の時に地面が霜で凍っていたりして相当冷たいところに30分も40分も裸足で立っていることで、「冷たい」に慣れたようなんだわ。
霜の降りた地面に直接に裸足で立っているのに比べたら屋内で裸足で板の間を歩くのも、ちょっと足を動かしていなくて靴下をはいた足が冷えていたって、どうってことない。
「ああ、足が冷たくなってるなぁ」しか感じなくなった。
これは大きい。
なにしろ昔はすごい冷え症で、冬の朝目覚めると布団の中なのに自分がすごく冷たくて
(布団の中で冷たくなっていた・って 死んだ、って表現のはずだけど?)と自分で突っ込んだりしていたものだったのだ。
それが根本的に変わったのは何年か前にスロージョグを熱心にするようになったとき。
冬に手足が冷えなくなった、冬に寝るときに靴下をはいていたのが(はいていたんです)要らなくなった、時々布団から足先を出したりもしているようになった。
たぶん運動することで手足の末端に毛細血管がいきわたるようになった、という事だったんだと思う。
それからはひどい冷え症とはおさらばしてはいるんだけれど、この秋の(冬なの?)霜の降りた地面に立つ日々のおかげでもうひとつ寒さが大丈夫になったみたい。
思えば江戸時代の芸者さんたちは真冬でも裸足に下駄、という事に決まっていたんだよね。
杉浦日向子の「百日紅」で雪の中を芸者さんたちが裸足で雪だるまを作って遊んでいる描写がある。
何でも慣れなんだろう。
私も太陽凝視が終わってもその後1年は裸足で散歩することを義務づけられているので、来年は江戸の辰巳芸者のような冷えない足の女になれているのだろうか。