さて、今日は3年ぶりの雇われ仕事の初日だった。
着物で面接に行った(笑)都内の高校の工芸実習のお手伝い。
もうね・観念したよ。
私は陶芸を人に教えるの、好きで得意で上手です。
いゃ、百歩譲って相手はどう思っているかはわからないけれど、
本人はとっても楽しくて、手ごたえがひしひし感じられて、充実します。
あははは、やっぱり3年前に無理して陶芸制作だけに絞る!と宣言して陶芸教室やめちゃったのって失敗だったのかもね、あははははは。
でもまぁ、一度辞めてみなきゃここまで自分が陶芸を人に教えることでエネルギーが湧き上がる人だとは気が付かなかったんだから、しょうがない。
あの頃、陶芸教室はうまく回っていて、むしろ制作の方がうまく回っていなくて、制作する時間をもっと作ればいい!と思ってお教室をやめたんだけれど、もしかして人生の流れをうまくつかんでいる人なら「うまく回ってる方を残してそうでない方は少し休む」という、私とは逆を選んだんだろうね。
問題をどうにかしたくて荒療治の方にあえて突っ込んでいく。自分に辛い方の道をそうしたいわけでもないのに「マゾ部」に入部していたから選んじゃった。
今だったらうまく回っていない方はちょっとお休みを入れて、うまく回っている方を取っておくのを自分には勧める。
そうはいってもあの頃すでに制作がうまく回らなくなってきているのが辛くて、その辛い顔を応援してくれている生徒さんたちに見せるのが嫌で辞めたという側面もあるから、やっぱり今の立ち位置にいることになっているんだろう。
なにはともあれ、その逆を選んでうまくいかなくて、本当に毎日不安だったり怖かったり辛かったり焦ったり、揚句に鬱っぽくなって作品もますますはかどらなくなったり、という・
ヘタを打たなきゃ体験できないようなことを体験したのは貴重だったよ。
私は「陶芸楽しいよ!」って言っていたい。
「陶芸でこんなこともこんなこともこんなこともできるよ!」と陶という素材に対する先入観を壊したい。
「陶芸は、あなたの知らないあなたか持っている美意識を引っ張り出してくれるんだよ!」と人に紹介したい。
この「~したい」は、儲かるとかお金を稼ぐとかとは関係なく、ついうっかりノリノリでやってしまう「~したい」。
つまり、「心が素直の望んでいるやりたいこと」のひとつなんだな、やっぱり。
今なら素直に言えるわ、「また陶芸教室で教えたい」。
もっとも陶芸教室でなくて今回のように学校でも大学でもいいんだけれど。
そしてそれは、私が生きるお金に困っているからそうしたいんじゃなくて、
それをしていると自分が予想以上に輝いて元気になる、とすごく正直に納得したから。
あれ~、自分ってこんなに「カラット」の高い人だったかしら??と思ったくらいだもん。
そしてその上がったカラットの輝きは自然と人と世の中を明るく彩るんだよね。
と・もう腹の底から納得したので、ほどなくして陶芸指導業界に復帰する流れが来るでしょう。
そしてこの今のカラットの上がった状態で自分の制作を見ると、やっぱりちゃんとカラット上がっているのよね。
暗く落ち込んで見えたりはしない・よかったよかった。
【今日の修行ごっこ】
太陽凝視 曇っていたのでできず、しかし裸足で腕ふり運動などをしてアーシングに努める。
延命十句観音経 10分、157回 トータル9811回。
1万回の背中が見えてきました。