大学院時代の私といったら。(笑)
週に4日は1日潰れるバイトに行かなきゃならないから(TVのセットを作る仕事)週3日しか大学院に行けない、
(バイトの日は夜にちょっとだけ登校していた)
な~の~に~午前11時位にゆっくり登校、
疲れるとすぐにお茶コーナーでお茶、
学科の方の授業は「江戸の黄表紙を読む」でお爺さんの先生と猥談ばっかり話していて、
今思うとたいして熱血な学生じゃなかった。(笑)
朝に大学の陶芸工房に行ってもいるのは真面目な韓国とインドの留学生だけで、しかもその二人が仲悪くて微妙な空気だったんだよなぁ。
朝にエンジンがかからないのなんて生まれたときからそうだったんだわ、思い出した。
自分で気合で朝型に自分を律したことがあったけれど、あれは自分の「地」じゃなかったのね。
そんな私だったんだけれど、
世田谷区の大学院の陶芸工房が八王子の学部の工房より新しくて明るくて、
1人が使えるスペースも大きくて嬉しくて、
前期講評が終わった夏休みに講評後に湧いちゃった作品のアイデアをなんとなく実現させたかったから、毎日に増やしたバイトの後にちょこちょこ学校に通って作品を1個仕上げたんだった。
で、なんとなくその前の年にも出した公募展に出したら、賞取ってそのまま作家になったんだった。
なんか、つまり、自分が「かくあるべき」と思っているよりもっと脱力した人間だったわけよ、もともと。
今みたいに。
あの頃あったのは「勤勉」とか「熱意」とか「他の人に負けたくない」とかじゃなくて、
単純に明るいあの工房で人に邪魔されず、
学部時代よりもスペースも窯の回数にもゆとりがあって、
とにかくただその遠慮しないでいい環境が嬉しかった。
作品の「正解」は私しか知らないので、誰に合わすこともなくて私の中に判断の中心があった。
誰も「良い」とも「頑張れ」とも言ってくれないけれど、
大学院に行くのを家族にとっても反対されたけれど、
ただただ「自分の好きに作る」「自分で決めた道に一歩踏み出した」喜びがあったなぁ。
もちろん毎瞬が幸せなんてことはなく、留学生の喧嘩に巻き込まれたり、毎日学校に行ける留学生たちが妬ましかったり、男子学生の意地悪に嫌な気分になったり、お金が無くて学部を卒業してデザイナーになった友人達と遊ぶと自分が貧乏すぎて落ちこんじゃうこともあったけれどね。
つまり、そんなに完璧に生活も制作もしてなかったけれど、ちゃんとそれでも思いがけないほど成功して今に至っているって事よ。
だから、今、自分が自分の妄想で作った「熱血陶芸家」じゃなくたって、ぜ~んぜん問題ないよね。
むしろそんなものを追っていたから、この何年か苦しくて苦しくて大変だったんだよね。
あれで良かったんだわ、としみじみ思う日曜の朝。(*^_^*)