昨日「アースシップ」という環境循環型セルフビルドハウスについてノリノリて書いたんだけれど。
リアルの友人メインのFacebookの方にも「私はこういう家が好きで、建てたいの」という事をカミングアウトしたのね。
そちらは画廊さんや批評家さん、お客様も後輩も先輩も大御所の先生も見ているので、あんまり個人的な志向は書かなかったのですよ。
でも。
自分が欲しいもの、こうありたいという事をいつまでもコソコソ自分で取捨選択しながら出していても、なんだかいつまでも自分は自分と同じ考えの仲間も増えないし事象が動いてこないような気がした。
そこで、私のささやかな望みなんかに興味ない人も多いとは思ったんだけれど、「私はこういう家を建てたいの」と開示してみた。
もちろん作家としての作品を出したりした時のように勢い良く「いいね」なんかつかなかったんだけど、
なんと北海道のお友達のお友達が、
1か月フィリピンで「アースシップ」のワークショップに参加してきて、自分もアースシップを作り始めたところだよ、
という情報をくれたのです。
なんか開示したらすぐに実践している人の情報と繋がるって、すごくない?
一昨日まで情報だけ知っていて憧れていただけだったんだけど、自分が望めば見学させてもらえるという状況がすぐにやってきました。
さすが情報社会、というのもあるし、
自分が素直に自分の望みを放ってみるという事の威力という事を実感したよ。
考えてみれば私はリアルライフで自分の志向をあまり開示してこなかったけれど、これからはどんどん開示していこうと思う。
これは先日着物屋さんで地味な着物ばっかり勧められて解ったことでもある。
だからあの経験、自分の内在神が「早く気がつけよ」という事で起こしてくれていたのよね。
基本、「嫌な事」って自分に聞かせるために自分の内在神が引き起こしているだけで、別に外側の他人が言いたくてやっているわけでもない、「自分劇場」のある役を他の人が忠実にやってくれているってだけだ、というのはよくよく聞くお話。
実際ちょっと嫌な体験とか嫌なことを言われた!というときは
その体験で嫌だと思った→「本当はどうしたいの?どうされたかったの?」
を知るための大事なきっかけ、大事なイベントです。
(Happyさんの動画で繰り返し言われている事)
嫌だ、と思って「本当は?」に気がつけばその「嫌だ」の役目は終わるので、いつまでも囚われていないでさっさと卒業しちゃえばいい。
これで「嫌だ」が起るのがそんなに「嫌な事」でもなくなる・かもね。