今年になってからあまりにも鬱になるので何かがおかしい、と昔の自分のブログを読み返したらSHINGOさんがHappyさんのお話をまとめている記事をリブログしていたのを見つけて読んで、色々改めて気が付いたわけです。

 

自分の「ありかた」が何よりも大切でした。

楽しい気分、キラキラした気持ちでいられるか、で行動を判断する。

それより大事なものはないくらい大事でした。

全てにおいて自分の心地よさを優先する。

自分の気持ちを絶対に絶対に否定してはいけない。

外側と自分がずれていたらそれは外側がずれている。

 

私の場合、特に仕事の時に「相手に合わす」「状況に合わす」をしようとします。

相手に合わせられてこそプロかと思っていたから。

でも、私はそれが苦手な作家だった。

「作家失格!」でなくて、それが「苦手」なタイプってだけでした。

 

今、これから判断基準になるのは「自分が気持ちいいかどうか」「自分が楽しいかどうか」。

楽しいと思えない作品は作らない。

作業が楽しくなくなったらすぐやめる。

お客様が「きゃ~♡」って言っている感じを思い浮かべて作品を作る。

 

思えば定職を辞めて陶芸家に専念することにしたときに、「今までのように気ままに作るのはプロじゃない、プロとして厳しくなろう」とか要らん決意をして、自分を見張るようになってからどんどん私は苦しくなって状況も悪くなった気がします。

むしろ、陶芸教室で大事にされて感謝されて、自分もその状況に感謝していた時の方が、陶芸家としても大きな仕事が回ってきていた。

でもそんな有難い状況の中でも自分が制作に関して無駄に昭和の真面目路線で自分をどんどん追い込んでだんだん作れなくなって、焦って制作の時間を増やせば突破口ができると思って仕事を辞めたんだよね。

制作に対する間違った真面目さで自分を追いつめて、制作に対してとくに自分の外側に謎の幻の理想基準を作ってさらに作ることを苦しくして、朝起きられないくらいの鬱状態まで自分を追い込んだりしてきた。

 

昨日今日、自分の心地良さ、を基準にすることにしただけで作品が進むようになりました。

制作している時間よりネットを読んだりこうして何か書いている時間のが多いかもだけれど、それでも自分の「楽しい」「良い気分」を優先してからの方が作品が進んでいるのです。

 

どれだけ今まで自分を「真面目にしなきゃ」「プロらしくしなきゃ」で追い詰めて来たんだろう。

これからはどの行動も、自分の喜びから出ているか?をよくよく見極めていきます。

ああ、今まで辛かった。

 

このHappyさんの記事、凄いと思う。

ここに紹介された方の状況だったら、私も自分の気持ちを押込めて「チャンスなんだから気分に流されて消極的になっちゃだめ!チャレンジしなきゃ!!」と自分を鼓舞して話を受けて、「歯を食いしばって」やろうとすると思う。

そしてそれは「ずれている」ことなのだと。

こういう「昭和なやる気」の罠って、自分も根深い。

 

 

 

【追記】

 

ところで心屋さんのいう「バンジーせんかい!」というのと上のリブログした記事の話って両立するのかな。

するか。

「本当にやりたいこと」にセットでキツイ状況やバンジーしなきゃならないことがくっついてきたときにはゲロゲロオエオエハカハカしながらやるのが「ずれてない」、

「本当にやりたいこと」の衣を被った何かだったり、「前は本当にやりたいことで今はちょっと違う」のときにはそれが本当にやりたいことなのかよく見極めろ、ってことなのかな。

 

まーとにかく、私は「納期」「点数」「ギャラリーさんの要望」に振り回されないで、それを手掛かりにしながら「楽しく作れているか」をチェックしながら進んでみようと思う。