本当の本当に機械的な仕込みの仕事の時には講演とか人の話している声が聞きたいので、久しぶりに「エハン塾」の過去動画を聴きながら仕事。
この動画、エハン塾の受講生の常連さんの「トクエイさん」という方のショートインタビュー。
この方は一時僧侶になりたいと思って永平寺で修業をした方。
(今僧籍があるのかはわからない)
https://www.youtube.com/watch?v=7YeWLPbs7D4
この方がちょっとだけだけど「瞑想」と「座禅」の違いを言っていて、はっとした。
「瞑想」は目をつぶる、「座禅」は半眼でつぶらない。
実は目をつぶると、イメージが出てきたりして、「辛いときにそういうものにすがりやすいので、楽なんだ」だそうだ。
「座禅」はそういうことでなくてあくまでも「今、ここにある」という事を意識して醒めているべきものなので、目をつぶってはいけない、そうだ。
私は「瞑想」をやっている時に調子が良いと目の前に紫や黄緑の光が乱舞してくる状態がある。
この状態になると自分としては「うまいこと変性意識に入れてきた」とみなすんだけど、それも何か生理現象に煩わされている、と言えばそうかもしれない。
それは覚えておこう。
その状態にも入れないで頭の中があっちに行ったりこっちに行ったりしたり、体の不調がやたらと気になったり、そんな状態よりはちょっとは良いのでしょうが、「光の乱舞(丹光、というんだっけな)の状態」よりももっと先のステージが確実にあるとだけはよく覚えておこうと思う。
去年高野山で「阿字観」をしたときにー
「阿」の梵字を見ながら「阿」に一体化するつもりで座る座禅。蓮華座組んで手は禅定印に組んで、半眼で、目はつぶらないー
半眼ではなかなか集中できないなー、と思ったんだけれど、自分の鼻の頭を見るともなしに見ていたら、鼻の頭からオーラのような 炎の揺らめきのようなものが見え始めて、その時は「おおっ!」と思ったんだけれど・
それも「惑わされてた」んだろうなぁ、、。(*゚ー゚)ゞ