(今日、と書いているのは全部昨日の話。)
今日は雨の中を伊丹と茨城の展示がけりがついたので、自分のうちのお墓詣り・自分の産土様・健康を祈願しているお不動様・皆中稲荷神社・穴八幡宮、とお礼のお詣りにまわる。
お詣りに出向かなくてもお仏壇ではご先祖様を、神棚では上記の神様方は必ず名前を上げて感謝の祈りを毎日毎日しているんだけれど、やっぱり区切りには直接会いに行くのもいいものです。
実際に足を運ぶと面白いことがあって。
毎日神棚でお詣りしていたら、初めてお詣りした時にはかなり閉じたイメージだった皆中稲荷様がどんどん強力な御神気をくださるようになった。
やっぱり毎日の積み重ねって力があるみたい。
お詣りをスタンプラリーみたいに続けていくうちに、どんどん心が明るく、軽くなる。
今日お詣りの最後にふっと思ったのは、
「自力も他力もない。」
仏教用語で自力で成仏を目指す(自分で修行して悟るのを目指すー上座部仏教)か
他力、仏様の絶大な慈悲に自分を無にして任せきることで成仏する(ー大乗仏教)か、という意味でつかわれる言葉なんですが、
スピリチュアルTVの悟りについての番組のどこかで、故・テディさんが生きて獲る「悟り」の在り方についておっしゃっていた言葉。
「実は自力だって言ってても天の采配でそれが起こっているとも言えるし、他力だって「発心」する時点で自力だから自力も他力もなく、その両方が起こって悟るんですよ」ってな話だった。
私が思ったのはそれと全く同じでもなく。
私が何に「自力も他力もない」と思ったのかというと、「引き寄せ」とか「設定」とかの願いと行動の在り方について。
願って忘れろ、とか・とにかく願う事と同じ「波動」に自分を持っていけ、とか はたまた「地球は行動の星なんだから動くことは必要だ」とも「怖れから動くと引き寄せは後退する」とか、最近頭の中がごちゃごちゃしていて。
「嫌なことはしてはならない」なら問題の解決を目指して動くのはダメなのか・
行動の星なんだから行動しなきゃダメなのか・
気が乗らないならやるな、なのか、
やるべきことは気を自分で上げて(波動を上げて)やるべきなのか。
頭の中でグルグルまわってよくわからない。
でもね・ どんな思考や判断や直感で行動しようが、はたまた行動しなかろうが、宇宙の采配で「あらかじめ決まっている」ともいえるわけだ。
結果が決まっている、以前に「自分がこう判断した」「自分がこう決意した」って部分からして「あらかじめ決まっている」。
だからつまり、何をやってもどういう方向を選んでも、何をしてもしなくても、
すべて、失敗も間違いも、ない。
なるようになるだけで、神様が絶妙に最善に運んでくれる。
と、なると。
自分が本当に気が向いて、
辛くなくて、
結果は自分に徹底的に都合良いこと、
から実行するわよね。(笑)
徹底的に都合良い未来しか考えないし、やりたい放題するわよね。(笑)(笑)
なにしろ何やったって全部自分の決断を含めて神様のお計らいだからね!
それ考えると、キリスト教的な「罪」「贖罪」「罪悪感」とかも人間が作った幻想にすぎないのね。
「あの時私が判断を間違った」なんて後悔も、「私」っていうのもそこまで決定権ないんだから「間違い」もなにもないよね。
最善に運ばれていくんだから、力を抜いて過程の一瞬一瞬を楽しい方を選んでりゃ~いいのでした。
「間違いたくない」「失敗したくない」「うまくやりたい」って、今までどこか私はカチカチだったんだけど、
「失敗はない」
んだったよ。
「俺らがうまくやってやるからお前はどーん、と行け!」
って神様、仏様、ご先祖様が言ってくれたような雨の日のお詣りでした。(*^_^*)
まとめ。
つまりさ、神様とか宇宙ってもんは人間が考えるみたいにケチじゃないんだよね。
点数やポイント制でもないし、取引じゃないし、ご褒美をくれるとかそういう賞罰でもない。
完璧にひたすらこちらに与えてくれている、らしい。
で。
私達はそんな神様達に100%保証されて「何もかも赦されてる、何もかも与えられている」って言われてこちらに来ている。
ビックリするけどこれ事実。
私は間違わない、苦しまない、困りっこない、なぜなら神様が100%支えてくれてるから。
こりゃ、みんなこの世に生まれたがるわけよ。(笑)
今日は雨の中を伊丹と茨城の展示がけりがついたので、自分のうちのお墓詣り・自分の産土様・健康を祈願しているお不動様・皆中稲荷神社・穴八幡宮、とお礼のお詣りにまわる。
お詣りに出向かなくてもお仏壇ではご先祖様を、神棚では上記の神様方は必ず名前を上げて感謝の祈りを毎日毎日しているんだけれど、やっぱり区切りには直接会いに行くのもいいものです。
実際に足を運ぶと面白いことがあって。
毎日神棚でお詣りしていたら、初めてお詣りした時にはかなり閉じたイメージだった皆中稲荷様がどんどん強力な御神気をくださるようになった。
やっぱり毎日の積み重ねって力があるみたい。
お詣りをスタンプラリーみたいに続けていくうちに、どんどん心が明るく、軽くなる。
今日お詣りの最後にふっと思ったのは、
「自力も他力もない。」
仏教用語で自力で成仏を目指す(自分で修行して悟るのを目指すー上座部仏教)か
他力、仏様の絶大な慈悲に自分を無にして任せきることで成仏する(ー大乗仏教)か、という意味でつかわれる言葉なんですが、
スピリチュアルTVの悟りについての番組のどこかで、故・テディさんが生きて獲る「悟り」の在り方についておっしゃっていた言葉。
「実は自力だって言ってても天の采配でそれが起こっているとも言えるし、他力だって「発心」する時点で自力だから自力も他力もなく、その両方が起こって悟るんですよ」ってな話だった。
私が思ったのはそれと全く同じでもなく。
私が何に「自力も他力もない」と思ったのかというと、「引き寄せ」とか「設定」とかの願いと行動の在り方について。
願って忘れろ、とか・とにかく願う事と同じ「波動」に自分を持っていけ、とか はたまた「地球は行動の星なんだから動くことは必要だ」とも「怖れから動くと引き寄せは後退する」とか、最近頭の中がごちゃごちゃしていて。
「嫌なことはしてはならない」なら問題の解決を目指して動くのはダメなのか・
行動の星なんだから行動しなきゃダメなのか・
気が乗らないならやるな、なのか、
やるべきことは気を自分で上げて(波動を上げて)やるべきなのか。
頭の中でグルグルまわってよくわからない。
でもね・ どんな思考や判断や直感で行動しようが、はたまた行動しなかろうが、宇宙の采配で「あらかじめ決まっている」ともいえるわけだ。
結果が決まっている、以前に「自分がこう判断した」「自分がこう決意した」って部分からして「あらかじめ決まっている」。
だからつまり、何をやってもどういう方向を選んでも、何をしてもしなくても、
すべて、失敗も間違いも、ない。
なるようになるだけで、神様が絶妙に最善に運んでくれる。
と、なると。
自分が本当に気が向いて、
辛くなくて、
結果は自分に徹底的に都合良いこと、
から実行するわよね。(笑)
徹底的に都合良い未来しか考えないし、やりたい放題するわよね。(笑)(笑)
なにしろ何やったって全部自分の決断を含めて神様のお計らいだからね!
それ考えると、キリスト教的な「罪」「贖罪」「罪悪感」とかも人間が作った幻想にすぎないのね。
「あの時私が判断を間違った」なんて後悔も、「私」っていうのもそこまで決定権ないんだから「間違い」もなにもないよね。
最善に運ばれていくんだから、力を抜いて過程の一瞬一瞬を楽しい方を選んでりゃ~いいのでした。
「間違いたくない」「失敗したくない」「うまくやりたい」って、今までどこか私はカチカチだったんだけど、
「失敗はない」
んだったよ。
「俺らがうまくやってやるからお前はどーん、と行け!」
って神様、仏様、ご先祖様が言ってくれたような雨の日のお詣りでした。(*^_^*)
まとめ。
つまりさ、神様とか宇宙ってもんは人間が考えるみたいにケチじゃないんだよね。
点数やポイント制でもないし、取引じゃないし、ご褒美をくれるとかそういう賞罰でもない。
完璧にひたすらこちらに与えてくれている、らしい。
で。
私達はそんな神様達に100%保証されて「何もかも赦されてる、何もかも与えられている」って言われてこちらに来ている。
ビックリするけどこれ事実。
私は間違わない、苦しまない、困りっこない、なぜなら神様が100%支えてくれてるから。
こりゃ、みんなこの世に生まれたがるわけよ。(笑)