最近母との確執も治まってきたんだと思ていたら久しぶりにやられた。
自分が膝の手術をするのが気が付いていないところで不安なんだろう。
精神状態がよろしくないからか、入院の日に付き添った私が化粧をしていないこと(厳密に言えばポイントメークはしているのでファンデ―ションを塗っていないだけ)や自分で作った着物リメイクのワンピースに羽織を合わせた和洋折衷の格好をしていたこといついて
「何よ、真っ黒な顔して!」「みっともない!」「変な格好して!みんな笑っているでしょう!!」と全く必然性なく怒り揶揄し始める。
前日のパーティーでも絶賛されたし、そんなこと言うのはお母さんだけだけど?と静かに反論すれば
「みんな蔭では笑ってるのよ!!知らないのはアンタだけよ!!」と、まぁキチガイみたいな酷い絡みっぷり。
で。
私がファンデーション塗ってないのは腹立たしくても、常にスッピンで化粧気が無くて男の様な身なりをしている妹には絡まないのだよ、どういう事だ??(笑)
多分自分で気が付いていないながら手術が不安でイライラして、わけもわからないそういうイライラは発作的に私にぶつければいいと思っているのだ・面倒くさい人だ。
よく考えたら子供のころからそんな風に八つ当たりばっかりされてきた。
子供の頃は自分が悪いから怒られているんだと思ったけど、思い出せばそこまで怒られなくてもいいような些細なことで髪の毛をつかんで引きずり回されたり叩かれたり、いいように母の気分転換の道具に使われていた。
いくら親だって自分の気分のために子供をサンドバッグみたいにしていいってことはない。
いくら今 年寄りになって気が弱くなったからって、私が大人だからって、私に理不尽に絡んで気分転換をしてよいってこともない。
この話、ちゃんと本人にするべきだろうか。言っても無駄かな。
とりあえず妹にはこういうメカニズムで私は絡まれているという気がするよ、とは言っておこうかな。
このところ実感していることのひとつに、「人間関係というのはAとBの間に存在するナニカ、ではなく たとえばAから見たB,というものであるに過ぎない」というのがある。
私達はどこまで進んで行っても結局「他者」には出会わない、どこまでもどこまでも自分の延長を見ているだけ。
淋しいけど、そう。
それが証拠に、自分の心持ちや意識(=波動)が変われば直後に、直ちに、人間関係っていうものが突然変わる。
相手に何か働きかけたりしなくても、、こちらが何かに気付いたりしただけで、外界が変わる。
で、そうならなんで私は今、母と嫌な関係を再燃させているのか?
母のようで私の問題だ。
私の世界を仕切っているのははどこまでも私のはずだ。
私に都合の悪い事なんて、私がマゾ的に願いもしない限りは絶対こ起こらないのだ。
さて、踏ん張りどころだ。
私はどこまでも私に都合の良い快適な世界を生きるのだ。
いくら実の母だって、失礼なことを言われたら怒っていい。
手術していようが入院して弱っていようが、そこで情けなんてかけないで、いい。
嫌な奴だったら実の母だって見舞いに行かなくていい。
嫌な奴には会わないでいい。
嫌な奴は嫌な奴だと言っていい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
え~と、え~と、あとなにがあるかな。
なんかもっと自分だけにフォーカスし切れ、家族とか親戚とかに普通の人みたいな良い顔しないで
「世界に居るのは自分だけ」を徹底すること・をしてみよう。
明日からまた3月に2つある展覧会のための作品を作らないといけないのだ、変な風にイイヒトぶっている余裕なんかないしね。、
ぁ。
やっぱりこれは「もっと徹底して作家であることに根性入れろ、そこに遠慮と罪悪感があるならそれらを撲滅せよ、ということだ。
自分がまだ腰が引けてるからこの忙しいのに家族が入院なんかするんだ。
自分が膝の手術をするのが気が付いていないところで不安なんだろう。
精神状態がよろしくないからか、入院の日に付き添った私が化粧をしていないこと(厳密に言えばポイントメークはしているのでファンデ―ションを塗っていないだけ)や自分で作った着物リメイクのワンピースに羽織を合わせた和洋折衷の格好をしていたこといついて
「何よ、真っ黒な顔して!」「みっともない!」「変な格好して!みんな笑っているでしょう!!」と全く必然性なく怒り揶揄し始める。
前日のパーティーでも絶賛されたし、そんなこと言うのはお母さんだけだけど?と静かに反論すれば
「みんな蔭では笑ってるのよ!!知らないのはアンタだけよ!!」と、まぁキチガイみたいな酷い絡みっぷり。
で。
私がファンデーション塗ってないのは腹立たしくても、常にスッピンで化粧気が無くて男の様な身なりをしている妹には絡まないのだよ、どういう事だ??(笑)
多分自分で気が付いていないながら手術が不安でイライラして、わけもわからないそういうイライラは発作的に私にぶつければいいと思っているのだ・面倒くさい人だ。
よく考えたら子供のころからそんな風に八つ当たりばっかりされてきた。
子供の頃は自分が悪いから怒られているんだと思ったけど、思い出せばそこまで怒られなくてもいいような些細なことで髪の毛をつかんで引きずり回されたり叩かれたり、いいように母の気分転換の道具に使われていた。
いくら親だって自分の気分のために子供をサンドバッグみたいにしていいってことはない。
いくら今 年寄りになって気が弱くなったからって、私が大人だからって、私に理不尽に絡んで気分転換をしてよいってこともない。
この話、ちゃんと本人にするべきだろうか。言っても無駄かな。
とりあえず妹にはこういうメカニズムで私は絡まれているという気がするよ、とは言っておこうかな。
このところ実感していることのひとつに、「人間関係というのはAとBの間に存在するナニカ、ではなく たとえばAから見たB,というものであるに過ぎない」というのがある。
私達はどこまで進んで行っても結局「他者」には出会わない、どこまでもどこまでも自分の延長を見ているだけ。
淋しいけど、そう。
それが証拠に、自分の心持ちや意識(=波動)が変われば直後に、直ちに、人間関係っていうものが突然変わる。
相手に何か働きかけたりしなくても、、こちらが何かに気付いたりしただけで、外界が変わる。
で、そうならなんで私は今、母と嫌な関係を再燃させているのか?
母のようで私の問題だ。
私の世界を仕切っているのははどこまでも私のはずだ。
私に都合の悪い事なんて、私がマゾ的に願いもしない限りは絶対こ起こらないのだ。
さて、踏ん張りどころだ。
私はどこまでも私に都合の良い快適な世界を生きるのだ。
いくら実の母だって、失礼なことを言われたら怒っていい。
手術していようが入院して弱っていようが、そこで情けなんてかけないで、いい。
嫌な奴だったら実の母だって見舞いに行かなくていい。
嫌な奴には会わないでいい。
嫌な奴は嫌な奴だと言っていい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
え~と、え~と、あとなにがあるかな。
なんかもっと自分だけにフォーカスし切れ、家族とか親戚とかに普通の人みたいな良い顔しないで
「世界に居るのは自分だけ」を徹底すること・をしてみよう。
明日からまた3月に2つある展覧会のための作品を作らないといけないのだ、変な風にイイヒトぶっている余裕なんかないしね。、
ぁ。
やっぱりこれは「もっと徹底して作家であることに根性入れろ、そこに遠慮と罪悪感があるならそれらを撲滅せよ、ということだ。
自分がまだ腰が引けてるからこの忙しいのに家族が入院なんかするんだ。