ぼんやり自ブログを読み返していて。

作る原点。

中学後半から自分の素直な反応でなくて、他人の期待を先読みしてリアクションしちゃうような人になった(つもり。今思い返すとずれまくっていて成功していなかった気が。)結果、自分の外側から自分を見ているみたいな実感のない症状になった話が出ている。
そこから自分の内側の本当の本音も実感もだんだんわからなくなってついに自分が行方不明になったわけよ。

読み返していてもうひとつ思い出した。

人に誉められたり、好意を持たれたりしても全く受けとることができなくなっていた。

何故なら嘘の自分だから。
自分の「素」を封印して外界に合わせるようにリアクションしてきていたから、人が良い風に受け取ってくれるのはある意味「騙されてるだけ」であり誉められるようなもんでもない、と感じていて、
本当の自分でない自分が誉められているにすぎないから、全然嬉しく感じられなかった。
誉めてくれた人は嘘の虚像の私を誉めているにすぎず、本当の中側の私のことなんか誉めないし嫌いだろう、と思った。 

そんなんじゃ、自己愛が育たなくて当たり前だったよね。(^_^;)
人は誉められる事、認められる事を足掛かりに自己肯定力を高めていくんだからね。

さらに自分で一生懸命「偽りの自分」をやっていたから、他人だって当然そうに違いないと思うわけです。
よって、他人のリアクションや言葉の全てをまず本心からと思えない、信用していない。
好意なんか示されたら「そこまで人をからかわなくてもいいじゃない!」と真面目に不愉快になったりした。

自己愛ばかりかちゃんとした人間関係も育てられなくなってしまっていた。
暗いセーシュンしちまったのは、こんなじゃ当たり前だよね。(^_^;)(^_^;)
あの頃私に向き合ってくれていた皆様、ごめんなさい。

元々は、空気が読めなくて他人をうっかり傷つけたりする自分がそういう「事故」をもう起こさないように、という ある種の優しい気持ちから始まった「素の自分隠し」。
自分としては頑張って大人になったつもりだったんだけど、とんでもなくアサッテな方向の思いつきだったのね。
40年位経って今さら気がついちゃったけど。(笑)

素直な自分を表に出せない、出さない方が良いと思い込む、
というのは、小さな事のようだけどかなり重要な「ダメ、絶対。」だ。  

「素の自分」はもとからあるから封じ込めても大丈夫、と思っていたし、迷惑だしバカだから「虚像の自分」が素の自分を乗っ取っても良いとすら思っていた。
ところがそれは土台が腐っている塔みたいなもんで、いつもグラグラして傾いたり落下物を落としたり、結局「事故」は起き続けるのだった。
傾いた塔の修理がだんだん間に合わなくなって、ついに元々の基礎を掘り、元々の竪穴式住居の復元に取り組んだのがこの5年位の事だ。
ずいぶん遠回りをしてしまった。

結構笑える絵ヅラなんだわ。
「ごめーん、今まで塔だって言い張ってたけど実は竪穴式住居なの!甲冑着ている女剣士だと思ってたら、珍獣だったの!!」
って珍獣が一生懸命まわりに謝ってるんだもん、竪穴式住居から顔を出して。(笑)
竪穴式住居でもなくてビーバーのダムかもな。
色々みっともないけど、ここからじゃないと何にも受け取れないし、始まらないのよね。
絵ヅラが可愛いから赦そう。(*^_^*)

全くの自分行方不明時代に比べたら別人のように自分を大事にできるようになったのは、ここではっきり公にするし、自分を誉めておく。
そりゃ~世界で一番自己愛と自己評価が高い人には敵いませんが、珍獣、頑張ってるんだよ。 
でもね、自分に戻る旅は終わりがないから、またますます自分を取り戻していこう、と思うのです。