何度か書いているように、かなり大事な幼なじみが先月亡くなったので、彼女の事や一番密に仲良くしていた小学5.6年生の頃の日々を毎日毎日思い返している。
思い返すなかで、とても重要な気付きがあった。
ただ、普遍性はないことだと思うから、長文を読んでくれる人の役には立たないかもしれない。
前にも書いたように、私は中学生以降の思春期がキツ過ぎて、そこからの脱却や陶芸に
出会ってからの自分の再構築や、さらにこの4.5年の自愛の修行(笑)がいつもドラマチックであり、恵まれた(と、言って良い)子供時代の最後の輝き、みたいな日々は遠くなってなかなか思い出す機会もなかった。
彼女と仲好しになる前は、私は絵や漫画を書く2D志向の子供で、彼女と組んでから手芸で立体作品に手を出すようになった。
2人で刺繍糸や毛糸や布やビーズや和紙を分け合い、手芸関係の本を貸し借りし、目白や池袋など近場の繁華街に片道何時間もかけて歩いて行って途中にある本屋や小物屋、手芸屋を回り、鳴り物入りで出来たばかりの池袋西武の最上階の書籍売場や8階にあった「ホビーラホビーレ」というホビー用品に特化したお店が入っている一角に通いつめていた。
お小遣いがそんなにあるわけでもなかったのに、やたらと本を買ってはその本の中の一番見映えがして初心者向きでない物を作りたがって、玉砕したりなんとか自分なりに作りあげたりしていた。
小学生なので家で特に勉強したりもしないでよかったとはいえ、一緒に遠出をしたり、別々に作ったり読書したり、お互いがまた新たな興味を見つけてきて教えあったり、何であんなに時間があったのだろうか、と不思議なくらい濃厚に過ごしていた。
小学5.6年生の私といえば、学校では空気読めなくて生意気なのでことあるごとに担任の男教師から目をつけられて大人げなく理不尽にやたらと叱られたり、家でも4人きょうだいで揉みくちゃで、感情的なガキだったから母に怒鳴られ姉に突き飛ばされ、でも子供だったから「自分はなぜか怒られてばっかりいる」くらいにしか感じてない、つまり怒られてもそれが何の効果にもならない、迷惑なガキだった。
中学生のある日、急に自分の上に「客観性」という面倒くさいものが降って来て、その瞬間から私はそれまで無自覚に刃物を振りかざすように生きてたことの自分の13年の人生の暴力性に自分で潰れてしまって、私の子供時代は終わった。
横道にそれるからあまり詳しく書かないけれど、他人にも心がある!自分が全く意図しなくても自分は人を傷つけたりする!という発見が私には苦痛になりすぎて、
客観性が降ってきた後は私は自分の素直な感覚でなく、足りない頭で一生懸命他人の気持ちや期待を類推し、それに沿うような言動を自分に強いるような人になった。
高校時代には自分の頭の上から自分を操縦するような自分の感性と言動が解離するような感覚になっていった。
当然生きていて辛く、まともに呼吸ができるのは絵を描いたり本を読んだり、何かに没入しているときだけになった。
で、「作ること」から離れたら自分は生きてはいけないだろう、という思い込みと怖れで美術にしがみついて、現在にいたるというわけだ。
思春期以降の私にとって、「作ること」は生きるー喰う、生活するでなく、生存するための命綱のようなもので、だからやっぱりある程度は成功するよね。
命がけだもん。
しかし、作家さんになって自分の居場所めいたものが確立されて、さらに作家どうこう以前の「ただの私」としての自分を認めて大事にしてあげることの中で、生きやすくなるにつれて作品に対しての情熱がぬるくなっていくのを感じて困ってしまっていた。
生き辛さや苦しみやフラストレーションがなければ作品が作れないなんてことはないはず、と頭で解っていても、
他人から「今の幸せなたこちゃんから発想した作品を作ればいいじゃない」と「アドバイス」されたりしても、
「これを作らなきゃ私はパンクしてしまう!」という激しさで作っていた頃の勢いとは「ゾーンが違う」という感じは否めなくて辛かった。
展示が決まって、声をかけてくれた人に対する礼儀や作家としての責任感で作っているような感じがいつも付きまとって、「自分は別に陶芸好きじゃないのかも」とまで思ったりしていた。
私の制作は結局「治療」にすぎなくて、「治癒」が終われば必要なくなるのかな、なんて。
でも、私にもただ作りたくて、誰に頼まれたり期待されたりもなく、苦しみからの逃避でもなく、純粋に憧れや歓びから始まって夢中で作っていた時があったのだった。
長く書いたけど、それがあの幼なじみと過ごした日々の中にあった。
私の作る原点は、今まで思春期の苦しみにあると思っていたけれど、違った。
思春期が黒いスモッグのように隠していたけれど、私にはもっと純粋で明るくて同じくらい激しい、「作りたい」の日々があった。
あの頃のようにただ自分の歓びのために、自分の憧れのために、もっともらしい理由なんかなく、作って良いんだ!
あの頃のように自由に、楽しみに溺れて作れ、ってUちゃんと過ごした日々が言っているんだ!
それに気がついたときに、特にこの1年自分がビジネスマインドが無い作家だからとかなんとかぐちゃぐちゃ考えていたことの全てがふっ飛んだ。
私は小学5年生のまんまでいい。
あの私こそ、作家としての一番正しい、無敵な自分だ。
あの頃の自分のあり方が作家として受け入れられないなら、そんなのたぶん周りがおかしいし、そんなはずはない。
ちょっと人としては珍獣で困った人なんだけど、そこは周りの人達が段々珍獣マニアになってもらうしかない、なあ。(^_^;)
そんなことを、この一月制作に忙殺されながら考えていました。
亡くなってからもこうやって大事な気付きをくれて、あの彼女は一体どういう縁の魂なんだろう。
私が死んで再会した時にはわかるんだろうけど、その時あの魂は生まれ変わってどっかに行っちまっていてすれ違いにならないだろうか。
思い返すなかで、とても重要な気付きがあった。
ただ、普遍性はないことだと思うから、長文を読んでくれる人の役には立たないかもしれない。
前にも書いたように、私は中学生以降の思春期がキツ過ぎて、そこからの脱却や陶芸に
出会ってからの自分の再構築や、さらにこの4.5年の自愛の修行(笑)がいつもドラマチックであり、恵まれた(と、言って良い)子供時代の最後の輝き、みたいな日々は遠くなってなかなか思い出す機会もなかった。
彼女と仲好しになる前は、私は絵や漫画を書く2D志向の子供で、彼女と組んでから手芸で立体作品に手を出すようになった。
2人で刺繍糸や毛糸や布やビーズや和紙を分け合い、手芸関係の本を貸し借りし、目白や池袋など近場の繁華街に片道何時間もかけて歩いて行って途中にある本屋や小物屋、手芸屋を回り、鳴り物入りで出来たばかりの池袋西武の最上階の書籍売場や8階にあった「ホビーラホビーレ」というホビー用品に特化したお店が入っている一角に通いつめていた。
お小遣いがそんなにあるわけでもなかったのに、やたらと本を買ってはその本の中の一番見映えがして初心者向きでない物を作りたがって、玉砕したりなんとか自分なりに作りあげたりしていた。
小学生なので家で特に勉強したりもしないでよかったとはいえ、一緒に遠出をしたり、別々に作ったり読書したり、お互いがまた新たな興味を見つけてきて教えあったり、何であんなに時間があったのだろうか、と不思議なくらい濃厚に過ごしていた。
小学5.6年生の私といえば、学校では空気読めなくて生意気なのでことあるごとに担任の男教師から目をつけられて大人げなく理不尽にやたらと叱られたり、家でも4人きょうだいで揉みくちゃで、感情的なガキだったから母に怒鳴られ姉に突き飛ばされ、でも子供だったから「自分はなぜか怒られてばっかりいる」くらいにしか感じてない、つまり怒られてもそれが何の効果にもならない、迷惑なガキだった。
中学生のある日、急に自分の上に「客観性」という面倒くさいものが降って来て、その瞬間から私はそれまで無自覚に刃物を振りかざすように生きてたことの自分の13年の人生の暴力性に自分で潰れてしまって、私の子供時代は終わった。
横道にそれるからあまり詳しく書かないけれど、他人にも心がある!自分が全く意図しなくても自分は人を傷つけたりする!という発見が私には苦痛になりすぎて、
客観性が降ってきた後は私は自分の素直な感覚でなく、足りない頭で一生懸命他人の気持ちや期待を類推し、それに沿うような言動を自分に強いるような人になった。
高校時代には自分の頭の上から自分を操縦するような自分の感性と言動が解離するような感覚になっていった。
当然生きていて辛く、まともに呼吸ができるのは絵を描いたり本を読んだり、何かに没入しているときだけになった。
で、「作ること」から離れたら自分は生きてはいけないだろう、という思い込みと怖れで美術にしがみついて、現在にいたるというわけだ。
思春期以降の私にとって、「作ること」は生きるー喰う、生活するでなく、生存するための命綱のようなもので、だからやっぱりある程度は成功するよね。
命がけだもん。
しかし、作家さんになって自分の居場所めいたものが確立されて、さらに作家どうこう以前の「ただの私」としての自分を認めて大事にしてあげることの中で、生きやすくなるにつれて作品に対しての情熱がぬるくなっていくのを感じて困ってしまっていた。
生き辛さや苦しみやフラストレーションがなければ作品が作れないなんてことはないはず、と頭で解っていても、
他人から「今の幸せなたこちゃんから発想した作品を作ればいいじゃない」と「アドバイス」されたりしても、
「これを作らなきゃ私はパンクしてしまう!」という激しさで作っていた頃の勢いとは「ゾーンが違う」という感じは否めなくて辛かった。
展示が決まって、声をかけてくれた人に対する礼儀や作家としての責任感で作っているような感じがいつも付きまとって、「自分は別に陶芸好きじゃないのかも」とまで思ったりしていた。
私の制作は結局「治療」にすぎなくて、「治癒」が終われば必要なくなるのかな、なんて。
でも、私にもただ作りたくて、誰に頼まれたり期待されたりもなく、苦しみからの逃避でもなく、純粋に憧れや歓びから始まって夢中で作っていた時があったのだった。
長く書いたけど、それがあの幼なじみと過ごした日々の中にあった。
私の作る原点は、今まで思春期の苦しみにあると思っていたけれど、違った。
思春期が黒いスモッグのように隠していたけれど、私にはもっと純粋で明るくて同じくらい激しい、「作りたい」の日々があった。
あの頃のようにただ自分の歓びのために、自分の憧れのために、もっともらしい理由なんかなく、作って良いんだ!
あの頃のように自由に、楽しみに溺れて作れ、ってUちゃんと過ごした日々が言っているんだ!
それに気がついたときに、特にこの1年自分がビジネスマインドが無い作家だからとかなんとかぐちゃぐちゃ考えていたことの全てがふっ飛んだ。
私は小学5年生のまんまでいい。
あの私こそ、作家としての一番正しい、無敵な自分だ。
あの頃の自分のあり方が作家として受け入れられないなら、そんなのたぶん周りがおかしいし、そんなはずはない。
ちょっと人としては珍獣で困った人なんだけど、そこは周りの人達が段々珍獣マニアになってもらうしかない、なあ。(^_^;)
そんなことを、この一月制作に忙殺されながら考えていました。
亡くなってからもこうやって大事な気付きをくれて、あの彼女は一体どういう縁の魂なんだろう。
私が死んで再会した時にはわかるんだろうけど、その時あの魂は生まれ変わってどっかに行っちまっていてすれ違いにならないだろうか。