先日10日、お茶の勉強会の後は竹橋の国立近代美術館で美術館収蔵品展「誰がためにたたかう?」を見てきました、
東京国立近美のコレクションの中から、戦後70年を節目に戦争、戦い、にテーマを絞った展示で、「国立近美のホンキ」と美術仲間で評判になっていました。
http://www.momat.go.jp/am/exhibition/permanent20150526/#section1-2
藤田嗣治の名高い戦争画「アッツ島玉砕」や靉光の「目のある風景」などの「定番」から、現代美術の作家達の映像まで、なかなか心に食い込むセレクション。
特に食い込んだのは現代美術作家集団のChim↑Pomが、2011年4月11日に福島第一原子力発電所の展望台を「登頂」した記録、「Real times」と 森村泰昌が市ヶ谷で演説する三島由紀夫をなぞって日本の表現者に「決起」を促す、「静聴せよ!」。
Chim↑Pomはこんな人達。 http://matome.naver.jp/odai/2139260371822263701
「Real times」はこんな映像作品。
大地震から一か月後の2011年4月11日、Chim↑Pomメンバー2人は福島第一原発の展望台をめざして防護服を着て歩いていく。
ひっくりかえった車や地割れを通り過ぎて、地震と事故が起こるまでは「日の出絶景ポイント」だか「夕日絶景ポイント」だか、F1の(エフイチ)の観光ポイントだった展望台を「登頂」するために。
展望台に着く。
背景に白い水蒸気を威勢よく吹き上げる崩壊した原子炉建屋。
2人はなにやら棒に巻かれた白い布を広げ始める。
粗雑な、急場しのぎの様な白旗。
「登頂」の証に旗を立てるのだ。
しばらく白旗をはためかせていたが、赤のラッカースプレーを取り出してきて、中心に丸を描く。
少しよれたにじんだ日の丸。
と、思いきや手は止まらず、丸の下、右上、左上、と台形の羽を描き足していく。
2011年3月14日から、みんなに馴染みのあのマーク。
真っ白な防御服の二人組が掲げる日の丸から変わってしまった原子力旗のえぐられるような哀しみ。
登頂を終えた2人は駐車場までもどり、防護服を脱いで、防護服は案山子に着せられる。
ひたすらもの淋しい風景の上に、「さよならはいわないよ」みたいな意味の英語が被って、終わる。
これはね、もう日本人全員毎年、お正月か建国記念日に見た方がいいと思う。
政治家は毎月11日に観直して欲しいよ。
この現実が私達の0地点で、ここからでないと私達はなにも始められないしどこにも行けないってことが骨に食い込むように解るから。
Chim↑Pomは「芸術実行犯」と銘打っているように、かなりあざといというか確信犯的というか派手なアート集団で、インパクトのある行為が表現になっている感じがする時(「広島の空をピカッとさせる」や・岡本太郎の渋谷駅壁画の「明日への神話」にゲリラ的に原発事故を思わす絵を貼って付け足す、など)と全くただのおふざけの目立ちたがりにしか見えない時があって今までそんなに好きな団体じゃなかった。
それでも2011年4月に早々にこの映像を撮ってくる命がけの真摯さを見れば素直にその姿勢と思索の確かさに頭を下げる。
2011年の4月の段階でなんか、どのくらいの作家が起こった事を表現に対峙させて行動できただろうか。
凄くながくなったので一度切ります。
東京国立近美のコレクションの中から、戦後70年を節目に戦争、戦い、にテーマを絞った展示で、「国立近美のホンキ」と美術仲間で評判になっていました。
http://www.momat.go.jp/am/exhibition/permanent20150526/#section1-2
藤田嗣治の名高い戦争画「アッツ島玉砕」や靉光の「目のある風景」などの「定番」から、現代美術の作家達の映像まで、なかなか心に食い込むセレクション。
特に食い込んだのは現代美術作家集団のChim↑Pomが、2011年4月11日に福島第一原子力発電所の展望台を「登頂」した記録、「Real times」と 森村泰昌が市ヶ谷で演説する三島由紀夫をなぞって日本の表現者に「決起」を促す、「静聴せよ!」。
Chim↑Pomはこんな人達。 http://matome.naver.jp/odai/2139260371822263701
「Real times」はこんな映像作品。
大地震から一か月後の2011年4月11日、Chim↑Pomメンバー2人は福島第一原発の展望台をめざして防護服を着て歩いていく。
ひっくりかえった車や地割れを通り過ぎて、地震と事故が起こるまでは「日の出絶景ポイント」だか「夕日絶景ポイント」だか、F1の(エフイチ)の観光ポイントだった展望台を「登頂」するために。
展望台に着く。
背景に白い水蒸気を威勢よく吹き上げる崩壊した原子炉建屋。
2人はなにやら棒に巻かれた白い布を広げ始める。
粗雑な、急場しのぎの様な白旗。
「登頂」の証に旗を立てるのだ。
しばらく白旗をはためかせていたが、赤のラッカースプレーを取り出してきて、中心に丸を描く。
少しよれたにじんだ日の丸。
と、思いきや手は止まらず、丸の下、右上、左上、と台形の羽を描き足していく。
2011年3月14日から、みんなに馴染みのあのマーク。
真っ白な防御服の二人組が掲げる日の丸から変わってしまった原子力旗のえぐられるような哀しみ。
登頂を終えた2人は駐車場までもどり、防護服を脱いで、防護服は案山子に着せられる。
ひたすらもの淋しい風景の上に、「さよならはいわないよ」みたいな意味の英語が被って、終わる。
これはね、もう日本人全員毎年、お正月か建国記念日に見た方がいいと思う。
政治家は毎月11日に観直して欲しいよ。
この現実が私達の0地点で、ここからでないと私達はなにも始められないしどこにも行けないってことが骨に食い込むように解るから。
Chim↑Pomは「芸術実行犯」と銘打っているように、かなりあざといというか確信犯的というか派手なアート集団で、インパクトのある行為が表現になっている感じがする時(「広島の空をピカッとさせる」や・岡本太郎の渋谷駅壁画の「明日への神話」にゲリラ的に原発事故を思わす絵を貼って付け足す、など)と全くただのおふざけの目立ちたがりにしか見えない時があって今までそんなに好きな団体じゃなかった。
それでも2011年4月に早々にこの映像を撮ってくる命がけの真摯さを見れば素直にその姿勢と思索の確かさに頭を下げる。
2011年の4月の段階でなんか、どのくらいの作家が起こった事を表現に対峙させて行動できただろうか。
凄くながくなったので一度切ります。