
あちいっすね。
この私ですら少し動けば汗だらだらでついに扇風機を出しました。
しかし昨日図書館から帰ってきてずっとタンクトップで肩を出していたら夜から急にクシャミするやらボーッとするやらで夏風邪の症状に。
昨晩はそれでダウン、今朝熱めのお風呂に入ってなんとか復活。
反省して今日は肩は出さず浴衣の帯び無し着付けwithヘアピン衿留め。
着心地で暑い、って空気が通らない事と汗を吸わない事だと思うからせいぜい浴衣を吸い取り紙みたいに思ってじゃんじゃん着て着替えようと思います。
懸案の近所のお地蔵様と観音堂、行ってみました。
出掛ける前に隣の大叔母の所に顔を出したら、雑談ついでに少し情報がもらえました。
お不動さんのお堂はお不動さんだけでなくて火のカミサマとかたくさん像がいた、
お堂のおばあさんとそのお母さんはカミサマを降ろして「占い」をしていた、
カミサマが降りると体が震えちゃってなんかすごかったよ、
毎年春に前はオマツリをしていて近所の人は手伝いに行って私もあんたのお祖母ちゃんもうどんなんか作ったよ、だそうです。
くーっ、お堂があるうちにいけば良かったよ。
「まだお堂の前の石碑だけはあるから見ておいで」といってくれたので、お地蔵様に行く前に古い「不動橋」を渡ってお堂の跡地に行ってみました。
石碑、というか「五輪搭」で真ん中の丸いところの中央に「怨親平等」、右に六道四聖、左に何かあったけど忘れた。
もうひとつ大きくて立派な「無縫搭」(むほうとう)型のもの、に南無妙法なんとかかんとか、と勢いのある崩し字で。
帰ってきて調べたんだけど「無縫搭」は僧侶のお墓の形、「五輪等」も地・水・火・風・空という万物の構成要素を象徴した形で全宇宙を表すという「供養搭」だそうだけど、合祀墓としても建てられるそうで、 結局「碑」でなく「お墓」だったんじゃないかな。
お堂は地図では「法華堂」と登録されているから法華、天台宗か日蓮宗。
おのおばあさんもそのお母さんも尼って感じではない、「おがみ屋」さんの感じ。
やっぱり加持祈祷の山伏文化の流れを感じます。
いつか詳しい人の話を聞かないと。
けっこう大叔母の所で長居してしまい、ちょっと日が傾いてから近所の神社に参拝してから懸案の「与市地蔵」様に。
恐る恐る行ったんだけど、大きくてちょっと姿がひなびていて優美でないというだけで、場所の雰囲気は悪くありませんでした。
私の母方の菩提寺のお寺が管理しているという話なので、もしかしたらもっと詳しい話はお寺で聞けるかもしれません。
台座と横に置かれた切り株形みたいな石達が見るからに立派な感じの石で、上の素朴な顔立ちのお地蔵様と確実に違うムードが出ている。
多分それらが鎌倉時代のオリジナルの石なんだと思います。
お地蔵様の横に昭和44年の日付のある与市地蔵尊の謂れの碑があり、図書館で調べたこととほぼ同じ事が書かれていました。
「ほぼ」というのは「観音菩薩のお側に」云々なる文言があったこと。
写真とってないからうろ覚え。
これは地図で見つけちゃった「浅利観音堂」の話だろうな、とピーン。
やれやれ、行くか、とお地蔵様の場所からさらに道を進んで一段上がった山の斜面にある、質素な平屋の小屋の前に小さな灯籠が建っている場所を目指します。
お地蔵様からも公道からも見えているけど、そこへ入っていける道がない。(^_^;)
あちこち周りを歩いてみて、道の痕跡を見つけようとしても見つからない。
結局周辺の電柵のついた畑のまわりをどきどきしながら伝って近づいて、絶対にここは道じゃないなあ、という藪から灯篭までなんとかたどり着きました。
たどり着いたら盗難が心配になるくらいオープンなガラス張りの板戸の3畳くらいの小さなお堂。
ガラス張りなので、なかが丸見え。
装飾も何もない質素だけどきれいな畳敷きのお堂の正面に、小さな厨子に納まった小さいけれど趣のある座像の木像の観音様。
貴人が自分の日々の信仰のために個人的に大事に持っていたようなスケールの観音様。
周りは草ぼうぼうだけれど、明るい場所で観音様は静かに落ち着いておられました。
突然の訪問をお詫びしながらご挨拶と御縁あってお詣りさせていただけた事の感謝を申し上げてきました。
帰り道に公道に出るのも藪を一足一足探り踏みながらでちょっとどきどきどき。
大叔母に観音堂の話をしても「そんなのあったかなぁ?」と全く覚えがない様子なのもうなずける感じの隠遁感。
でもね、多分あの観音堂は無用心過ぎるのであれで良いと思う。
なにか、プライベートな信仰の空間がポッカリ草の中に隠れているような場所で観音様の周りは静かな清浄な空気が漂っていました。
本当に貴人が隠遁して山の中に小さな庵を結んで日々誦経だけして暮らして、今はちょっと畑にでも居て席を外している、というような雰囲気。
周囲の草を刈ったり話題にして目立たせたくないような気がしました。
(って、ちゃっかりブログに書いてますが)
また今度、市の木造歴史的遺物の本がないか図書館で調べてみようと思いまする。
「一日堂」、は見つからなかった。
私が「一日堂」と思っていたのが観音堂で、一日堂は地図と立て札だけに名前を残して見当たらない。
観音堂もお地蔵様も高速道路のために動かされているので、「一日堂」は無くなったのか全く違う場所、例えば町中に移ってしまってたのかもしれません。
東北の震災の後も高速道路の耐震性強化工事のために、高速道路の下の家が一軒町中に移らされたので、そんな感じのことが起こったのかも。
これらについてはまたおいおい訊いたり調べたりしていくつもりです。