私はアスリートみたいに健康を気にする。
健康オタクと言われてもしょうがないほど、自分の体が不調なのが嫌いだ。
体が不調だと精神力がないので気が散って作業に集中できない。
ってか・精神力なんぞは体力を凌駕できない。
集中しているつもりでも、最大限精一杯やっているつもりでも、体力が充実していない時の作品は、弱い。
昔むかし、生活のためにキャデイさんをやっていて、そのころ作った作品は「私、立ってるのもやっとです」みたいな自分の体調そのまんまのものが出来てしまった。
(そして一念発起して24時間、356日作家さんがしたくて海外のアートプログラムに出かけて行くようになった。)
体は、健康は、大事だ。
私が高校1年の時に出会った美術の先生、O先生の言葉を私はいつでも噛みしめている。
O先生はそのころ定年に緩かった都立高校でもかなりご高齢の先生で、70いくつだったろうか。
小さい品のいいマントヒヒみたいなおじいさんで、美術の時間でも学生に1学期間に1枚だけ徹底的に石膏デッサンをさせるとか静物画をじっくり描かせるとか課題を出して、自分は美術研究室に引っ込んで自分の絵を描いている。
時々研究室から出てきては「こんなんじゃ全然だめです」と言って学生の石膏デッサンを全部消して「面で見なさい。」など簡単な助言を残して去っていったり
これは!と思うようなのを描く学生が居れば「キミは天才です!美術部に入りなさい!」と激賞してスカウトしたりしていた。
美術研究室にキープしていたウイスキーを女生徒に飲まれて、酔いつぶれた女生徒を介抱した男子生徒に説教されちゃったことがあったりしたそうで、
(ついでに言うとその男子生徒は山下達郎だったそうだ)
RCサクセションの「僕の好きな先生」みたいな最高にイケてる先生だった。
私が高1の秋、美術室に居たら、1学年上の先輩がO先生に進路を相談に来た。
美術大学に行きたいのだけど、食えるようになるのでしょうか?と。
O先生、「(卒業生が)飢え死にしたってハナシはまだ聞きませんよ」。
先輩、まだ心配でこんなことを言う。
「あのぉ~ワタシ、才能があるでしょうかぁ~?」。
O先生、答えて
「サァイノー?そんなもなぁ~どーとでもなります。
それより君、体は丈夫かい?
体が丈夫でないと、この世界は難しいですよ」。
先輩、嬉しそうに「体だけはすっごく丈夫です!!」とはじけるような笑顔で返す。
O先生も「じゃあ、大丈夫だ!」と、ニッコリ。
ああ、35年も前のことなのに昨日のように思い出す。
16のおバカ美術部少女には「才能なんかより健康だ」というO先生のご意見は非常に意外で強烈だったのだが、今こうやってうっかり美術に関わって年月を過ごして、年年歳歳、その言葉の正しさ、深さが骨身に染みてきている。
美大でも才気が煌めくような先輩や同級生をたくさん見たけれど、体が弱い人は続いていない。
私が今があるのは、ともかくも若いころには鞭打てばいくらでも突っ走る馬車馬の様な頑丈な女だったからだ。
今続けていられるのも、そんな無理な体の使い方をしたのにどうにかこうにかでっかい病気になっていないからだ。
そして冒頭でも書いたように、続ける続けないどころか作った作品自体に自分の体調、生体エネルギーの様なものが反映されてしまうのだ。
その鏡のような正直さは怖ろしいくらいだ。
作品はその人そのもので、「その人」とは精神だけじゃなくて肉体も気配も生活の気分も食べ物もウンコも含めて「その人」なのだ。
健康、ほんっとうに大事なのだ。
青いどろどろだって喜んで飲むし、面倒でカッコ悪くてもゴキブリの断末魔みたいな体操だってするよ。
酒は止めてないけどね♪(*^_^*)
O先生は、96歳というご長寿で亡くなった。
亡くなる直前まで絵を描かれていたそうだ。
私は海外にいてお葬式にも出られなかった。
O先生に出会わなかったら私は美術をやっていないどころか、高校卒業する前に自殺しちまったりしていたかもしれない。
1年間しか教わらなかったんだけれど、私の最高の恩師だ。
健康オタクと言われてもしょうがないほど、自分の体が不調なのが嫌いだ。
体が不調だと精神力がないので気が散って作業に集中できない。
ってか・精神力なんぞは体力を凌駕できない。
集中しているつもりでも、最大限精一杯やっているつもりでも、体力が充実していない時の作品は、弱い。
昔むかし、生活のためにキャデイさんをやっていて、そのころ作った作品は「私、立ってるのもやっとです」みたいな自分の体調そのまんまのものが出来てしまった。
(そして一念発起して24時間、356日作家さんがしたくて海外のアートプログラムに出かけて行くようになった。)
体は、健康は、大事だ。
私が高校1年の時に出会った美術の先生、O先生の言葉を私はいつでも噛みしめている。
O先生はそのころ定年に緩かった都立高校でもかなりご高齢の先生で、70いくつだったろうか。
小さい品のいいマントヒヒみたいなおじいさんで、美術の時間でも学生に1学期間に1枚だけ徹底的に石膏デッサンをさせるとか静物画をじっくり描かせるとか課題を出して、自分は美術研究室に引っ込んで自分の絵を描いている。
時々研究室から出てきては「こんなんじゃ全然だめです」と言って学生の石膏デッサンを全部消して「面で見なさい。」など簡単な助言を残して去っていったり
これは!と思うようなのを描く学生が居れば「キミは天才です!美術部に入りなさい!」と激賞してスカウトしたりしていた。
美術研究室にキープしていたウイスキーを女生徒に飲まれて、酔いつぶれた女生徒を介抱した男子生徒に説教されちゃったことがあったりしたそうで、
(ついでに言うとその男子生徒は山下達郎だったそうだ)
RCサクセションの「僕の好きな先生」みたいな最高にイケてる先生だった。
私が高1の秋、美術室に居たら、1学年上の先輩がO先生に進路を相談に来た。
美術大学に行きたいのだけど、食えるようになるのでしょうか?と。
O先生、「(卒業生が)飢え死にしたってハナシはまだ聞きませんよ」。
先輩、まだ心配でこんなことを言う。
「あのぉ~ワタシ、才能があるでしょうかぁ~?」。
O先生、答えて
「サァイノー?そんなもなぁ~どーとでもなります。
それより君、体は丈夫かい?
体が丈夫でないと、この世界は難しいですよ」。
先輩、嬉しそうに「体だけはすっごく丈夫です!!」とはじけるような笑顔で返す。
O先生も「じゃあ、大丈夫だ!」と、ニッコリ。
ああ、35年も前のことなのに昨日のように思い出す。
16のおバカ美術部少女には「才能なんかより健康だ」というO先生のご意見は非常に意外で強烈だったのだが、今こうやってうっかり美術に関わって年月を過ごして、年年歳歳、その言葉の正しさ、深さが骨身に染みてきている。
美大でも才気が煌めくような先輩や同級生をたくさん見たけれど、体が弱い人は続いていない。
私が今があるのは、ともかくも若いころには鞭打てばいくらでも突っ走る馬車馬の様な頑丈な女だったからだ。
今続けていられるのも、そんな無理な体の使い方をしたのにどうにかこうにかでっかい病気になっていないからだ。
そして冒頭でも書いたように、続ける続けないどころか作った作品自体に自分の体調、生体エネルギーの様なものが反映されてしまうのだ。
その鏡のような正直さは怖ろしいくらいだ。
作品はその人そのもので、「その人」とは精神だけじゃなくて肉体も気配も生活の気分も食べ物もウンコも含めて「その人」なのだ。
健康、ほんっとうに大事なのだ。
青いどろどろだって喜んで飲むし、面倒でカッコ悪くてもゴキブリの断末魔みたいな体操だってするよ。
酒は止めてないけどね♪(*^_^*)
O先生は、96歳というご長寿で亡くなった。
亡くなる直前まで絵を描かれていたそうだ。
私は海外にいてお葬式にも出られなかった。
O先生に出会わなかったら私は美術をやっていないどころか、高校卒業する前に自殺しちまったりしていたかもしれない。
1年間しか教わらなかったんだけれど、私の最高の恩師だ。