翌日は緊急に行くことにした日田という町に移動。
私の作品の作風を知っている人ならお分かりのように、私は寺社建築や仏教・神道・民俗信仰の「装飾」全般、しかも隙間なくビッシリこてこて、ってのが大好物なのだ。
旅行前には頭に超ド派手曳山(山車)の「博多祇園山笠」の事ばっかりあって、なんとか博多にも行けないか画策したけれど、隣の県とはいえ結構遠いので断念していた。
そんな話を旅の初日に県立美術館の学芸員さんにぼやいたら「由布院の先の日田という町にもその手の曳山がある」と教えてくださって、まとめて見られる資料館もあるとご紹介下さる。
ネットで調べたらこれこそ私が見たがっていたタイプのデコラティブ曳山。

も、燃えるぜ!!行くぜ!!!!


本当は臼杵に行く前に大分から日田に移動した方が効率 は良かったのだが土地勘のない人の旅行計画なんてこんなもんだ。
臼杵から大分に戻り、観光地で名高い由布院も乗り換え駅としてだけで通りすぎ、結構な時間と交通費をかけて一路日田に。
由布院から日田までの特急「由布院の森」というのはなかなかゴージャスな電車で気分が良かった。
駅のホームからチラリと見た由布院の駅前は・・・・・・人がたくさんいたけれどダメな頃の軽井沢みたいに酷いことになってた。(^_^;)
臼杵やその後行った日田の駅前みたいにな~んにもないのもちょっと心配だけどもっと趣味よく栄えられないのかなぁ。

炎天下の日田に着いたらとにかくひたすら歩いて「日田祇園山鉾会館」へ向かう。
味のある旧市街とは逆方向らしく、閉まったお店や住宅ばかりの眠ったような町を歩いて山鉾会館へ。
会館前の日田八坂神社にまずはお詣りしてご挨拶してから会館入り。

声をかけて結構なお年そうな職員さんを呼んで入場券を買って展示室に入れば、

ど~ん!




どど~ん!









こんなかんじ。

大きい物は高さ10m、重さ4t、これがお神輿の後に付いて曳かれるそうだ。

構造として大きな屋台状の車に前下がりのステージ状の物が前側にせり出し主に歌舞伎の名場面を写した人形が飾られ、後方に4本の高い柱がやぐら状に組まれそれをベースに三重の塔だか何だか解らないが赤い柱の豪華建築が人物との大きさ無視で絶妙のアンバランスさでニョキニョキ増殖している。
さらにとにかく隙間を埋めよ、と造花や造木や波しぶきのパターンやらで埋め尽くしてある。
実際に曳かれる時は後方には「見送り」という緋色のラシャに金糸で麒麟や鷹が繍いとりされた大幕を垂らし、夜には左右・後方にこの上に大量の提灯が取り付けられるのだ。
このアクセル全開の狂いっぷり、この不安定なボリュウムの躍動感。
もしかしたら豪華だけどバランス的に安定している博多の飾り山笠よりエキサイティングかも。

(モバイルで打ち込んでいるのでリンクを貼れなくて申し訳ない。よっぽどの曳山マニアじゃないと話が解んないよね。)

私の興奮のせいで磁場が狂ったのか、見学している間に火災報知器が何度も何度も誤作動して落ち着かなかったし、山鉾本体以外の展示はちよっと酷いもんだったんだけど・堪能させていただきました。

この日は大分でご恩のある方と会食の約束が出来て、本当に山鉾会館だけ見てまた豪華特急「由布院の森」に乗って大分にトンボ返りしてしまった。

次回大分に来るときには(仕事の絡みだからまた来る)じっくり一泊して日田の歴史的な街並みを見たり小鹿田にも行ってみたい。


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それにしても日田の眠ったような町の印象と、あの山鉾の狂いっぷり。
サンバカーニバルのためだけに生きているブラジル人みたいなもんなのか。

それから山鉾の、不思議な要塞のようなアンバランスな形態、そこにさらにアンバランスにひとがたが乗った感じ。
何か思い出すと思ったら、トラック野郎のデコトラ、ヤンキーの皆さんの改造車や箱乗り、だ。
ネットで山鉾が勢揃いする「顔見せ」の画像を見たら確信した・「族」の皆さんの集会の源流は「祇園祭」だ。

・・・・・荒ぶる神を味方につけたいのだ。無意識にでも。

祇園祭は祇園精舎の守護神とされる牛頭天王のための御祭で、この神様は疫病を司る荒ぶる神で、エンターテイメントで賑やかしてご機嫌を伺って疫病から守ってもらうのだ。
赤や金がこういった曳山に多用されるのは疫病の邪神がこれらの色を嫌うからだそうで。

曳き山や山車の起源をwikiなどで読んでいくと面白くて止まらなくなる。