前の記事の続き。
他人から受ける親切だけじゃなくて、自分がする行為すべてを「罪悪感」は見張っている。
こうやって私は陶芸しないでブログを書いているわけですが、これだってしぶとく生き残った「罪悪感」の生き残りは出てきて私の存在から力を奪おうとして虎視眈眈。
このところ私は制作が進まないことにについていろいろ自分の心を探ってきたんだけど、今日稲妻のように閃いたのよね。
私は、陶芸制作がからむと、罪悪感がいまだに出てくる!!!
これだよ。
今日さぁ、お昼を食べたら異常に眠くなって、気が付いたら3時間もお昼寝しちゃったのよ。
目が覚めて「あちゃ~、やっちまった!!」って思いかけたんだけど、それと同時に
「これだよ!!」
って、稲妻のように、わかった。
これよ。
私はかなり自分が自分であることを許せているのに、陶芸が絡むと妙に「頑張る教徒」になったり「完璧教徒」になったり、する。
好きな仕事をして好きな着物を着てのらくら生きてハッピーハッピーなのに、「陶芸」が絡むと妙に堅くて縮こまって依怙地な昔の私に戻る。
陶芸は、昔の自分が今の自分になるまでずっと握りしめて一緒に戦ってきた、たった1本の剣の様なものだから。
古い剣が捨てられないんだ、たぶん。
今はもっと性能の良い剣、もっと楽に戦績を上げる剣だってあるのに、自分の昔の手応えみたいなものに縛られて、
古い重い切れない剣を使いつつづけているんだ、たぶん。
ああ、「今の私」として陶芸に関わらなきゃ。
もっと軽く、もっと明るく楽しみを持って。
思えば時々色々な人に「陶芸に関わると急に堅くなる」という指摘は受けて来たんだけど、自分の変な思い込みが「だって仕事だからしょうがないじゃん」と拒絶してきたんだよね。
バカだなぁ、仕事だからこそ「今の生き生きとした私」として取り組めばいいのにね。
気が付いたからには、陶芸と罪悪感のカップリングは、これでおしまい!!
今から新しい自分として陶芸にも取り組みます。
あ・ハンドルネームも「にゅーたこ」になったのはそういう願望もあったのね。
【追記】
うちの母・両親、「許す」どころの話じゃないよ。
大感謝だよ。
私は自分回復の途上に自分は「どろろ」の百鬼丸 みたいだ、とよく思っていた。
妖怪と戦って、戦って、勝つとその妖怪が奪った百鬼丸本来の人間の体を取り戻すのだ。
自分らしさを取り戻した、と実感するたびに、まるで自分の無くした手や足が戻ったような気分がリアルにした。
こんな面白い人生をくれてありがとう!!お母さん、お父さん。
私は剣をふるって百鬼丸みたいに冒険したかったから、あなた方を選んだのよね。
大感謝だよ。
面白かったよ。
これからは百鬼丸じゃなくてミンキーモモ みたいに生きるからさぁ。(*^_^*)