最近、更にますます世界が私に優しいわけです。
いつからかなぁ?とちょっと考えてみたら、先日急に思いついてやってみた 「人類みな兄弟ごっこ」 の後から特に。
職場の陶芸教室も益々和やか、母とも揉めなくなった。
職場で今までどうもポリシー的に受け入れられなかった職員さんも気に障らなくなった。
特筆すべきは2年前の冬至に私について嘘八百の汚いクレームを上に上げて私を陥れようとしたクソジジイからクソがとれて普通のジジイになった。
私が何かしたんじゃなくて、勝手にそうなった。
強いて言えば私の「在り方」が変わったから、ということなんだけど、気持ち悪いくらい勝手に世界がフレンドリーになってきている。

ここまで書くと「人類みな兄弟ごっこ」サイコ―、ってな話で終わりそうなんだけど、ふと、その前段階があったのに気が付いた。
そもそもなんで「兄弟ごっこ」なんか思いついたんだっけ?

「兄弟ごっこ」の前の晩、私がアメブロに来るきっかけになった「僕のアニキは神様とお話しできます」 関連のサイトを寝ながら読んでいた。
もうブログは終わってしまったけれど、あのブログで話してくれていた「神様」ってあったかくて素敵な神様だったな~!!ってしみじみと思った。
神様も、あのブログを1日に2本も書いてくれていた龍さんも、体を壊すほど頑張って神様とつながってくれたアニキさんも、有難かったなぁ、と。
毎日更新されていたのを読んでいた頃とは私は別人のように安定した心で生活できているなぁ、もうお会いできる機会もないわけだけど、「今」「この状態」の私から改めてお礼が申し上げたくなった。
神様は神様で「一」様だということなので、ここで思いを馳せれば伝わるかなぁ、と思いついた。
そこで布団の中で寝たまんまだけど、思いっきり、全身全霊で「一様ありがとうございます!私、今幸せです!!一様のおかげです!」「龍さん、アニキさんありがとうございます!ご活躍を心より祈ってます!!」とお礼を念じてみた。
冗談じゃなく本気の全身全霊で。
体からブワッて紫色のビームが出た気がするくらい。(笑)

それでその晩は私は満足して寝たんだけど、次の日の通勤電車の中で急に「人類みな兄弟ごっこ」を思いついてやってみたのよね。
たぶん、「一様」のことを思い出していたからだと思うんだ。
私達1人1人はみんな「神様△△出張所××課窓口に座っているやる気のない職員」みたいなもんなんだよな・
どんな無能職員でもみんなあのあったかい「一様」につながってるのよね、という事が頭に残っていたからじゃないかと思う。
一様に私のささやかな感謝が伝わったから、そんなお土産を一様がくれたような気がした。

胡散臭い事言ってるみたいだけど、感謝って形式的にだけじゃなくて時々目から涙が出るくらい本気でやると、何かすごいパワーがあるような気がする。
形式的な「感謝します!」「ありがとうございます」の連呼ももちろんいいんだけど、ふと誰かや何かを思い出して「ありがたかったな」ってしみじみ思う時があったら、そのタイミングで1秒でも本気で、その人が目の前にいるつもりよりもさらに真剣に、感謝してみるの。
たぶん、の話で申し訳ないんだけど過去でも遠くでも異次元の人にでも、確実に届く気がします。
そして、それが届くとたぶん、(またたぶんで申し訳ないけど)自分の存在の次元が半紙1枚分くらいかもしれないけど良い階層にシフトしていくような気がするんだよ。
証拠も根拠もなくて、私の実感だけなんだけど。

感謝のコストなんかゼロ円だからさ、気になる人は試してみて。(*^_^*)


【追記】

「僕アニ」の「神様」は神様じゃなくて所詮アニキさんがしゃべっているだけだ、という主張があるんですが、
だからなんだ?と思うよ。
近所の人格者のオッサンが話してくれていることだと思って読んでてもあの「神様」のお話って心に響くよ。
それにけっきょく私達1人1人が神様につながっている「大いなる一」なわけだから、アニキさんがしゃべってたってそれはアニキさんの口から神様、一様の言葉が出てるのと何が違うのかと思うんだよね。
「神様じゃなくてアニキさんがしゃべってるだけだ!」っていう人は「神様が話している」から聞こうと思った、だからだまされたような気がする、
「アニキさんが話している」じゃ同じ内容でも聞く意味はない、って思っているってことなのかしらねぇ。