はろ~、皆様。
こちらのブログにようこそお越しくださいました。
昔の話だけど、「芸術家が作る骨壺」展っていう展示に参加したことがある。
やっぱりそういうテーマだとおのずと自分の死生観を考えるよね。
私は宝船の形のものを作った。こんなコンセプト。
こちらのブログにようこそお越しくださいました。
昔の話だけど、「芸術家が作る骨壺」展っていう展示に参加したことがある。
やっぱりそういうテーマだとおのずと自分の死生観を考えるよね。
私は宝船の形のものを作った。こんなコンセプト。
「この骨壷は宝船の形をしている。
ゆるい仏教徒として私は輪廻転生を信じている。
我々人間は空の船としてこの世に送り出される。
生きている間のすべての経験がその船の「宝」として積み込まれ、
死んであの世に帰るときには満載艦の宝船となってめでたく帰港、というわけである。
宝をあの世に届けしばらくあの世で遊んで気分転換したら、また空の船として新しい冒険の旅に出るのだ。
この骨壺は香炉としても機能する。
生きている間には香炉として使い、いい匂いがついたところで骨になって入るという計画である。」
けっこう昔の作品(1997,8年くらいかな)なんだけど、私の死生観は今みたいにスピリチュアルとか精神世界というものがこんなにメジャーになる前からそんなに変わってはいなかったらしい。
というか、子供のころからおばあちゃんに連れられてお寺参りをしていた私には人は死んだら「おおもと」「根源」にただ還るだけ、人はあの世にこの世の「経験」という宝を集めて持っていく海賊みたいなもんだ、と小学生のころには思っていた。
そんな茫洋とした素朴な死生観がその後にスピ愛好家になってどんどん裏打ちされるようになったのはめでたいことだ。
「立派なTodo」は華麗に宝船にメタモルフォーゼして人生航路をさらにふらふらよろよろ進むのです。
このブログはそんなお宝発見の記録です。(*^_^*)